【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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あるNGO職員の初めての体験 - その3

モンゴルの女の子

モンゴルの女の子

タイでの経験と重ね合わせよく考えたら、もう出国に必要な書類と手続きは必要無いような気がした。
つまり出国のための旅券は日本大使館で発給され、入国したという証明書も得た。そして帰国便のチケットも手元にある。恐る恐るまだ殺気だった雰囲気のキャリア・ウーマンに聞いてみた。「もうこれで完了ですよね??」彼女は言った。「ノー、これからイミグレーションに行って出国ビザをもらわなければならないのよ!」「えっ、この国では出国するのにビザ必要なんですか?」そう言えば東京のモンゴル大使館でのビザ申請書に、入国ビザ、出国ビザ、出入国ビザのどちらかを選ぶ欄があったこと思い出した。

* 役所が閉まる5時までにはあと50分あった。急いで車を飛ばしてイミグレーションに到着したのは、4時25分だった。何とかこれで間にあったと思ったら、ビザを申請する部屋が閉まっている。総務課長は、入り口の案内に行き抗議するような口調で暫く守衛と話をしていたが、諦めて戻ってきた。なんと明日が祝日なので、今日は4時30分前に職員は帰ってしまったというのだ。

* ありったけの体力・気力・知力をつかってここまでたどり着けたのに、、。私の落胆は大きかったが、彼女のキャリア・ウーマンとしてのプライドは大いに傷つけられ、その落胆振りは私以上と思われた。彼女は突然叫んだ! 「そうよ、私達は全てやったのよ。 私達にミスはなかったんだから、明日空港のイミグレ-ションで事の次第を説明して、その場でビザをもらえばいいのよ!」 しかし以外に冷静だった私には「当たって砕けろ」的な無謀な挑戦に思われた。

* とりあえずイミグレーションを出て、WVの事務所に戻る事にした。私はWVモンゴルの代表のアレックスへ事の状況を携帯電話で報告した。また、明日空港でビザをもらわなければならなくなったことも説明した。すると彼は、今から外務省へ行けとアドバイスをしてくれた。ワールド・ビジョンはその働きをモンゴル外務省から高く評価されており、外務大臣とアレックスは親しい仲だという。アレックスのメッセ-ジは総務課長にも告げられ、私達は直ぐに外務省に向かった。外務省は意外と近い距離にあったが、時間は既に4時45分をまわっていた。

* 外務省の正面玄関は閉まっていたが、通用口が開いていてそこから入った。中に入るとどう見ても日本人としか思えない、うりざね顔で色白、そして気のよさそうな中年の男性がニコニコと我々二人を手招きしている。思わず「JICAの方ですか?」と喉まで出かけたとき、「このビザ申請用紙に記入してください。」と流暢な英語で指示された。モンゴル人の外務省員であった。それにしても彼の顔は中国人でもなく、韓国人でもない、紛れもなく日本人顔である。

* 必要事項を全て記入し、言われるままに旅券と写真2枚と手数料の20$を渡した。そして5分後に旅券は出国ビザのシールを貼られて戻された。何だか狐に抓まれているような感覚であったが、兎に角ビザは貰えた。親切な日本人顔の役人さんに丁重にお礼をいい外務省を出た。時計は丁度5時になっていた。アレックスに電話をし、あっという間にビザが発給されたことを告げた。と同時に通常イミグレーションで発給するビザがどうして外務省で発給出来たのか聞いた。彼曰く、外務省には外交官のビザを発給するセクションがあり、外務大臣に私の出国ビザを発給して欲しい旨のリクエストを電話で直接したという事だった。

* 翌日の日中は、予定どおりウランバートル市内の事業地を訪問した。休みにもかかわらず、2人のシニア・スタッフが事業地の案内をしてくれた。翌日が休みだからと終業時間前に帰ってしまったイミグレーションの役人とは大違いである。もうこの時点はよほどの問題がなければ予定通り帰国できると思い、自宅の家内に初めて盗難にあったことを電話で告げた。

* 出国の際のイミグレーションでは、通常の日本のパスポートと全く違った旅券を持っていたので、疑われて色々聞かれるかと思っていたが、意外に担当官は何回も同じような旅券を処理したような様子で無表情に手際よくスタンプを押してくれた。モンゴルで初めての、それも苦い苦い経験をしたが、今回も予定通りに無事に帰国する事が出来た。

-おわり

この記事を書いた人

高瀬一使徒
高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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