【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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ヌルジャハンとの出会い

私たちが支援をしている途上国の子どもたちのことを想うとき、いつも最初に思い出す女の子がいる。27年前(1989年)の11月、青年海外協力隊の一員として赴任したバングラデシュの任地で、私の家(と言っても、研修センターのトイレシャワー室付きの10畳くらいの一部屋に住んでいた)の隣の家に住んでいた一家の、三人姉妹の末っ子だ。名前はヌルジャハンといった。

バングラデシュの支援地域の子どもたちと

バングラデシュの支援地域の子どもたちと

私が最初に任地に着いたのが翌1990年の1月、車で任地について荷物を降ろして部屋に運んでいるときに、このバングラデシュの片田舎に外国人(特に日本人)は誰もおらず(前任者の協力隊員はいたが一年前に帰国していた)、物珍しそうにその様子を眺めている人だかりの中に、彼女がいたのを覚えている。当時6歳くらいだったと思う。

9歳下の妹がおり子ども好きであった私は、ほどなくヌルジャハンと親しくなり、彼女はすぐ下の弟をつれて私の部屋によく遊びにくるようになった。小学校に上がったあとは、家に電気のないヌルジャンハンは夜私の部屋に来て勉強したり、私の部屋にあった白黒テレビで、英語放送なのだが「マクガイバー」というアクションドラマを見て楽しんでいた。

私も時々、彼女の家に遊びに行くようになった。

彼女の一家は、ロンドンに移住している一家の土地に、無断で竹と泥で家を建てて住んでいた。父親はタバコをまとめて買って、それをバラ売りした差額の利益で何とか生計を立てていた。両親は学校に入っておらず、読み書きができなかった。長女と三女のヌルジャハンは何とか学校に行かせてもらえていたが、次女は私が勤務する事務所の上司宅に住み込みのお手伝いとして働きに出されていた。

ヌルジャハンが学校に行くようになって、ノートやペンなどの文房具を買ってあげたり、若かった私なりに少しでもヌルジャハン一家の生活が少しでもよくなればと考え、父親のタバコ売りの商売でより利益が出るようにと、地方都市に出かけた際には、タバコのまとめ買いして父親に提供した(ちゃんと原価はもらいました)。ヌルジャハンを自分の娘のように感じ、養女にして日本につれて帰れないかとも考えたこともあった。

3年間のバングラデシュでの任期が終了し、いよいよ任地を離れる日、ヌルジャハンはなかなか姿を現さなかった。周りの人たちに手を引っ張られてやっと出てきたヌルジャハンの目は、涙で一杯だった。

バングラデシュの支援地域にて

バングラデシュの支援地域に住む家族と(2013年)

それから約4年後、任地を訪れるチャンスがあった私は、すぐに自分の住んでいた場所に行ったが、ヌルジャハンの家があった場所には別の家が建っていた。地主が家を建てるため、ヌルジャハン一家は立ち退きをせざるを得なかったそうだ。ヌルジャハンたち3姉妹は、それぞれ既に結婚してしまったと聞いた。全員10代前半での、いわゆる早婚であった。今は33歳くらいになっているヌルジャハンは、どうしているのだろうか?子どもはいるのだろうか?どこでどのように暮らしているのか、私には知る由もない。

その後バングラデシュでは、NGOの活動や政府の取り組みなどの結果、女子の教育状況は大きく改善し、小学校の就学率は97%を超えており(2012年)、ヌルジャハンのような子どもは少なくなってきていると思う。しかし、まだまだ様々な理由で小学校へ行くことができない子どもがいるのも事実だ。

また、状況はまったく別であっても、世界中にはこのヌルジャハンのように大人の都合(理由)で人生が大きく変わってしまう、あるいは人生に希望が持てない子どもたちがたくさんいる。このような状況を変えるには、長い時間が必要だ。しかし、あきらめずに取り組めば、今やバングラデシュで女子の小学校就学率が97%を越えたように、一つひとつの課題が解決されていくと信じている。

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この記事を書いた人

今西浩明
今西浩明支援事業部 部長
1983年大阪府立大学農学部農芸化学科卒業後、総合化学メーカーの日産化学工業株式会社の農薬部門で6年間勤務。同社を退職後、1989年11月より3年1カ月間、国際協力事業団(JICA)青年海外協力隊員としてバングラデシュへ派遣され稲作を中心とした農業・農村開発の活動を行う。その後、青年海外協力隊調整員として3年6カ月ネパールに滞在、次いで青年海外協力隊シニア隊員として再度バングラデシュに派遣されモデル農村開発プロジェクト・協力隊グループ派遣のリーダーとして2年3カ月間、農村開発の業務に携わる。
2000年9月より米国フラー神学大学院世界宣教学部(Fuller Theological Seminary, School of World Mission)へ留学、異文化研究学修士(MA in Intercultural Studies)を取得。ワールド・ビジョン・インディアのタミールナドゥ州パラニ地域開発プログラム(Palani Area Development Program) での4カ月間のインターンシップをはさんで、2003年9月より英国サセックス大学大学院に留学、農村開発学修士号を取得する。
2004年12月国際協力機構(JICA)アフガニスタン事務所企画調査員として8カ月間カブール市に滞在。2005年9月よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、支援事業部 部長として勤務している。
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