国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフブログ

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[世界難民の日]に寄せて:ハイダリじいさんのおすそ分け

今から10年ほど前、アフガニスタンで働いていたときのこと。ハイダリさんという名の、初老の同僚がいた。小柄で真っ白いひげを顎にたくわえ、顔には深い皺が刻まれていたけれど、偉ぶらずいつも明るく前向きだった彼は、若いスタッフからも慕われていた。

ある日、ハイダリさんが私の執務室に入ってくるなり「ワタナベさん、私の幸せを受け取ってください。」そう言ってキャンディーが詰まったガラスの瓶を差し出した。この地域には、おめでたいことがあった際に周囲にプレゼントを配る習慣があるからだ。「どんないいことがあったの?」キャンディーを一つ受け取りながら尋ねた。すると、彼はこう答えた。

「昨日、息子と電話で話した。」

息子さんから電話がかかってきたことがキャンディーを配るほど嬉しいことなの?内心いぶかしく思いながら話の続きを聞いた。ハイダリさんの長男は、1970年代後半に当時のソ連に留学生として渡航した。アフガニスタン人のソ連留学は当時のエリートが歩む道で、ハイダリさん家族にとっても、そして本人にとっても誇らしいことだったに違いない。

ところが、1979年にソ連がアフガニスタンを侵攻して事態が一変する。自分を受け入れてくれたはずのソ連が家族のいる祖国を攻撃している。そんな現実を目の当たりにして息子の心はどんなに傷ついたことだろう。時を追うごとに戦闘が激しくなり、いつしかハイダリさん一家と息子は連絡手段を失ってしまった。

避難先から故郷へ戻るアフガニスタンの人々(2002年)

避難先から故郷へ戻るアフガニスタンの人々(2002年)

振り返って、自分が大学生の頃はどうだっただろうかと考えてみた。紛争と平和について勉強はしていたけど、紛争に翻弄される人々の気持ちに向き合うこともなく、家族がそばにいるありがたみも感じることなくいかに無邪気に過ごしていたことか。それがハイダリさんの息子は異国の地で、自分の将来について家族に相談しようにも連絡は取れず、ましてや安否さえわからない状態で長い間苦しみを味わったに違いない。

ハイダリさん一家は戦闘がいよいよ激しくなるとパキスタンへ避難し、難民生活を送っていた。もし息子が帰ってきたときに出迎える家族が誰もいないのは忍びない…。一家は後ろ髪を引かれる思いで家を後にしたのだと思う。実際、家族の帰宅を待っているうちに脱出の時期を逃し、戦闘に巻き込まれた人々も多くいたと聞く。ハイダリさんにとっても、避難は苦渋の選択だったに違いない。

息子さんからハイダリさんに電話があった数週間前、ハイダリさんの末娘が結婚した。その時は「親としての役目がこれでやっと終わったよ。」そう言って喜んでいた。けれども心の中ではこの晴れの場に長男がいてくれたらどんなに良いだろうと、ハイダリさんとその家族誰もが心の中でそう思っていただろう。

アフガニスタンでは20年以上に及ぶ戦争でインフラが破壊されつくしたため、戦争前に使われていた固定電話の復旧は後回しにされ、代わりに初期投資があまりかからない携帯電話が普及した。つまり、戦争前の電話番号を覚えていてもその番号はもはやつながらない。新たに携帯の番号を入手しない限り、つながらないのだ。

ハイダリさんの息子はアフガニスタン人の知り合いの携帯番号を入手し、それを皮切りに多くの人々を介して、ようやく父親の携帯の番号にたどり着き、電話してきたのだそうだ。

「今、息子はチェコで医師をしている。家族もいるそうだ。」そう言うハイダリさんの顔には安どの表情が浮かんでいた。私もハイダリさんの嬉しそうな顔を見て、大変なこともあるけど、難民とかかわる仕事をしていてよかったと、心から思った。

勉強を教えあう子どもたち

勉強を教えあうシリア難民の子どもたち(ヨルダン)

あれから10年。その間、世界は平和に向かうどころか、悲しいことに次々と新たな紛争が生まれてしまった。私は昨年の3月から65万人のシリア難民が滞在するヨルダンにいる。シリア難民の中にも、家族と離ればなれになり、家族の安否を案じながら暮らしている人びとがたくさんいる。特に仕事のため父親だけシリアに残り、母と子が安全なヨルダンに逃げてきたというケースが多い。

皆様からのご支援とジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成金で実施している教育プロジェクトでは、勉強の遅れを取り戻す補習授業だけでなく、戦争で傷ついた子どもたちの心を少しでも軽くすることができるよう、創作活動も行っている。

子どもたちがいつか再び家族と会うという希望を持ち続けることができるよう、そして再会した時に「ヨルダンでもいろいろな方々の支援のおかげでがんばって勉強することができたよ!」子どもたちがそう胸を張って家族に報告することができるよう、これからもこのプロジェクトのために活動を行っていきたい。

 

子どもの作品 日本語訳「私たちは安全な海岸にたどり着きたい」

シリア難民の子どもの作品。左上には「私たちは安全な海岸にたどり着きたい」とある

 

■渡邊スタッフが従事しているシリア難民支援事業について、詳しくはこちら

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6月20日は世界難民の日。
約5,950万人もの人々が、紛争や迫害により故郷を追われ、厳しい環境で生きています。
今、彼らのことを知ってください。
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この記事を書いた人

渡邉 裕子
渡邉 裕子ヨルダン駐在
大学卒業後、一般企業に勤務。その後大学院に進学し、修了後はNGOからアフガニスタンの国連児童基金(ユニセフ)への出向、在アフガニスタン日本大使館、国際協力機構(JICA)パキスタン事務所等で勤務。2014年11月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。
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