ゴロワADPはHIV/エイズとともに生きる人々のために、カウンセリングによる精神的なサポートや収入創出活動(鶏やヤギといった家畜の飼育や家庭菜園)の奨励に加えて、地方行政が彼らの存在を認知し、必要な支援を提供するよう促したり、地域の人々がHIV/エイズに関して正しい知識を得られるよう啓発活動を実施したりしています。同じような状況にある16名のメンバーが集まり、“Umoja”(スワヒリ語で「団結」という意味)という名の自助グループも作られました。サラホさんの奥様がリーダーを務めています。
今から15年ほど前は、HIV陽性者であることが分かると、周りの方々はあいさつも握手もしてくれなかったし、一緒の場所で食事をすることも許されず、床屋に行くことすらできなかったと彼らは語ります。その目からは涙が零れ落ち、すすり泣く声が小さな部屋を満たしました。彼らとADPの努力の結果もあり、今では状況もだいぶ変わったようで、自らがHIV陽性者だと公言する人の数も増え、“Umoja”のような自助グループも他に3つ結成されたとのこと。
さらに、地方政府も抗レトロウイルス薬(ARV)を無料で配布しているそうです。 “Umoja”に関わる前は、自分と同じような状況にある人々がすぐそばにいることにすら気づかなかったとグループのあるメンバーは語っていました。まだまだ地域内の多くの人々が偏見を恐れ、自らがHIV陽性者であることを公言できずにいるそうです。彼らのためにも “Umoja”はより一層「団結」し、活動の輪を広げていきたいと考えています。
振り返ってみると、知らず知らずのうちに、私は「HIV/エイズとともに生きる人々」という一語で、同じような状況にいらっしゃる方々を簡単に一括りにし、そのように便宜上分類された方々を必要以上に弱い存在、あるいは特別な存在と捉えていたのではないかという気がします。
だからこそ、サラホさんが国際的なマラソンランナーであったことが信じられなかったのではないだろうか・・・何と勝手な考え方をしていたことかと自分の無礼さを反省させられる思いでした。
日本から途上国で生きる子どもたちやその家族のことを想うとき、私たちは想像力を働かせます。あの子はどんな毎日を過ごしているのだろうか。
お父さん、お母さんは元気だろうか。学校には行っているだろうか。お腹は空かせていないだろうか・・・しかし、それはあくまで想像なので、現実は知る由もありません。だからこそ、見た者が伝える必要があると思わされます。
そしてこの場合、WVJで働かせていただいている私が、途上国の現場で感じたことを皆さまにお伝えしていく必要があると思わされています(あ、更新しないと・・・)。十分な形ではなかったかもしれませんが、サラホさんのこと、そして彼を支援するゴロワADPのことを少しでもお伝えできたのであれば嬉しいです。
このブログを書き終えるにあたって、私はまた想像する者に戻ります。
サラホさんは2002年の東京国際マラソンに外国招待競技者として出場されたそうです。どんな思いで東京の街中を走り抜けていたんだろうか。
ゴロワ地域とはまったく異なる東京の高層ビルを眺めながら、何を感じていたのだろうか。そして、かつてご自身が走った東京からやってきたWVJスタッフの私に会い、何を思われただろうか・・・
タンザニア、元マラソンランナーのお話でした。
※今回、サラホさんのお話しをブログで取り上げることに関して、また写真を使わせていただくことに関して、ご本人やご家族から事前に許可を得ております。
この記事を書いた人
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東京外国語大学英語科を卒業。民間企業勤務を経て、青年海外協力隊としてボリビアに赴任。帰国後、日本貿易振興機構アジア経済研究所開発スクール(IDEAS)で学ぶ。
2012年にワールド・ビジョン・ジャパンに入団。2017年から2021年までカンボジアに駐在し、日本政府、企業、個人のご支援による複数事業の管理に従事。
現在、スペイン語通訳として地域の学校等でも活動。保育士。防災士。
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