【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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お互いを知ることから始めよう@ケニア

はじめまして。土田和歌子(つちだ わかこ)です。東アフリカ地域の事業を担当しています。

2017年2月、私の第2の故郷でもあるケニア共和国からワールド・ビジョン(WV)ケニアのスタッフ2名が来日しました。現在、シオノギ製薬様からのご支援で、ケニアのイララマタク地域の事業地内で母子保健事業(「Mother to Mother Project」SHIONOGI Project)を実施しています。本事業に関する日本でのイベント開催にあわせ、シオノギ製薬様のご厚意で2人の来日が実現しました。※イベントの様子はこちらからご覧になれます

その1人が、イララマタクを含む4つの事業地を統括するマネージャーのシニーナ。マサイ族が生活する遠隔地のイララマタク事業地の周辺地域で生まれ育ち、かつては彼女自身がWVから支援を受けていました。支援を通じて学校に通い、優秀な成績を修めて大学進学。今はWVケニアのスタッフとして故郷の地でマサイ族の悪しき慣習(例えば女性器切除)を訴え、子どもたちが健やかに成長できる環境を整えるべく奮闘しています。

シニーナと筆者

シニーナと筆者

初めて日本に来たシニーナ。日本の感想を聞くと、一言。

「Wow…」
普段はおしゃべりなシニーナも言葉を失う程のカルチャーショックを受けているようでした。日本はクリーンで土埃がない、電車を待つ人がきちんと整列している、地下鉄が何層にもなって走っている、色々なものが機械化されている、すべてにおいて時間通り、人々が静か…などケニアとは全く異なる環境に、一つひとつ感嘆の声や驚きの声をあげていました。

「What is this?」
彼女が滞在期間中一番発した言葉かもしれません。特に食事のとき。日本食の特徴は、食材の豊かさだけでなく、一つの食材を様々な調理方法や飾付で楽しむこと、また一回の食事での品数の多さにあることを改めて実感しました。例えば、ケニアでの貴重なタンパク源である卵。ゆで卵として食べることが多いケニアと違って、日本ではオムレツ、玉子焼き、錦糸卵、茶わん蒸し…と姿形を変えて登場します。また、ケニアで芋というとジャガイモ。サツマイモやキャッサバも地域によってはありますが、日本ではさらに里芋や山芋があり、こんにゃくも芋からできた食品。芋一つとっても種類が多く、興味津々でした。

ケニアの基本料理(ウガリとスクマウィキ)

ケニアの基本料理(ウガリとスクマウィキ)

一方で、ケニアの一般的な食事は、ウガリ(トウモロコシの粉を練った主食)とスクマウィキ(ケールの一種)やキャベツなど野菜の炒めもの、といったシンプルな料理です。お金に余裕がある家庭のみお肉が加わります。卵(一個20円程)は高価な食材で、毎日は食べられません。特に農村部の家庭であれば、毎日ウガリと野菜炒め、時々じゃがいものシチュー、特別な時にはお肉、といったメニューです。

お肉(山羊肉)を炭火で焼いたもの(ご馳走です)

お肉(山羊肉)を炭火で焼いたもの(ご馳走です)

日本とケニアのあまりに違う食文化に、ケニアのスタッフが慣れることができるか不安でした。ところが、何にでも挑戦し、人生で始めて食べた海鮮(タコやイカ)もおいしいと言って食べていた彼女たちには、そのような心配は無用でした。お吸い物が気に入り、お土産にも買っていました。日本食をとても気に入ってくれて、何だか日本や我々日本人を受け入れてもらえたような気がして嬉しく感じました。食は人間にとって栄養という意味では勿論のこと、文化という意味でも重要なものだなとつくづく感じました。

シニーナは料理以外にも色々なものをビデオや写真に撮り、ケニアにいる家族や同僚に送っていました。トイレのウォシュレットもその一つ。トイレのないコミュニティで生まれ、子どもの頃、WVの支援を受けて村で初めてのトイレが出来た!と話す彼女。日本のトイレがあまりに進化をしていて衝撃だったようです。

発見の毎日だった彼女を見ていて、私が初めてアフリカの大地に足を踏み入れた時のことを思い出しました。高層ビルがそびえる首都の一角から外れると、テレビでしか見たことのない現地の姿が目に飛び込んできました。それは、大きなポリタンクを頭にのせて水を運ぶ女性・子どもの姿であり、衛生環境も劣悪で今にも崩れそうな家に住む人々の姿でした。

なぜ日本はこれだけの発展を遂げられたの?なぜ日本はどこに行っても水道から綺麗な水が出てくるの?なぜ日本ではどこに行っても水洗トイレがあるの?と疑問が次々と過ぎりました。普段当たり前だったことが当たり前でない場所に来て、初めて気づくことの多いこと…。日本のことを振り返る機会になり、日本の良い所やケニアに学びたい所など、発見の連続でした。シニーナが日本に来た時も多くの「なぜ」を抱え、ケニアと日本を比較していたのだと思います。

国際協力に限らず、他国の方と仕事をする時、他国で事業を行う時、現地のスタッフも住民も日本とは全く異なる環境、文化、習慣の中で生まれ育ったことを理解することが必要です。同時に、相手に日本を理解してもらうことも、とても意味のあることだと感じています。シニーナは日本の生活や文化を見て、日本人の繊細さや几帳面さを肌で感じていました。それは、異なる価値観を認識し互いに尊重することに繋がります。また、相手の求めていることや考えの背景が理解できるようになり、業務遂行にも効果的に働くと思います。

今回、私自身もシニーナやケニアとの距離が更に縮まったと感じています。お互いに相手のことを知ることが第一歩。ケニアの子どもたちの明るい未来のために、今後もWVケニアのスタッフとともに力を尽くしていきたいと思います。

この記事を書いた人

土田和歌子支援事業部 シニア・プログラム・コーディネーター
大学・大学院修士課程修了後、民間企業に5年間勤務。退職して青年海外協力隊としてケニア共和国に2年間赴任しHIV/AIDS対策に従事。帰国後ワールド・ビジョン・ジャパン入団。アフリカ事業を担当。2020年4月退団。
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