「シリアからヨルダンに来て3年、もうこんな生活はうんざり。どうにかして生活を変えたいと思っているのに…」マンスーラと名乗る女性は泣き出した。ヨルダン北部、シリアとの国境に近いイルビドという町で、シリア難民が身を寄せる住居を訪れた時の出来事だ。
床にはくたびれた絨毯が敷いてあったが、壁は冷えきっていて冷気が伝わってくる。部屋の真ん中には難民支援団体から支給されたという真新しいガスストーブが置いてあった。「寒いでしょうから、これで暖まって」。しきりにストーブのスイッチを入れようとするが、そのたびに丁重にお断りした。
平日の昼間、その家には彼女と2人の息子、義理の父、義理の妹がいた。マンスーラさんは文字を読むことができない。暦も理解できないから、子どもたちの正確な年齢を知らない。見た目には2人とも10歳前後に見える。
ヨルダンに来る前、一家はヨルダン国境から10キロほど離れたダルアーというシリアの町に住んでいた。あるとき家に迫撃砲が撃ち込まれ、めちゃくちゃに破壊された。故郷を離れる決心を固め、身分証明証を探したが、がれきの山から取り出すことはできなかった。
夫と2人の息子、娘一家、義理の父、義理の妹とともに、1日かけてヨルダン国境を目指した。ちょうどラマダン(イスラム教の断食月で、日中の飲食が禁じられている)中だったから、体力的にとてもきつかったという。国境の緩衝地帯に着いてから、暗くなるのを待ち、日が沈むと暗闇に包まれながら国境を目指した。そこで夜が明けた。
身分証がなかったので、国境ではヨルダンの警備隊から「お前たちはほんとうに難民なのか」としつこく問いただされた。ヨルダン側の村の女性が警備隊を説得。国境を越えることが決まってからは、警備兵も優しく接してくれたという。
難民認定された現在は、支援はあるが家賃を払ってしまうと生活はぎりぎりだという。そのため小学生の息子を中退させ、働かせたいと思うことが何度もあると打ち明けてくれた。夫は高齢で腰が悪く、働ける日と働けない日がある。急に病気になったときに医療費が支払えないことが一番怖いという。
マンスーラさんには夢がある。「まだシリアに残っている、20歳を過ぎた2人の息子に会いたい。内戦前から親元を離れて働いていたから、もう6年も会ってない」そしてもう一つ。「早く故郷に帰りたい。がれきと化した家の横にテントを立ててでも、そこで暮らしたい。故郷とはそういうものよ」
話をしている間、彼女は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から発行された難民登録証を片時も離さなかった。シリア難民であることを証明するこの紙切れが彼女の存在を示す唯一の証しであり、支援を受けるための命綱でもあるからだ。
シリアで内戦が始まって5年。現在ヨルダンには64万人近いシリア難民がおり、そのうちの8割以上が難民キャンプの外で暮らしている。ヨルダン北部等、難民を多く抱える地域はホスト・コミュニティーと呼ばれ、シリア難民に職を奪われたり、住居不足で家賃が高騰する等、ヨルダン人にも深刻な影響が及んでいる。そのためシリア難民は、周囲にそれと悟られないようひっそりと暮らしており、悩みを抱えていても難民同士で気軽に打ち明けたりすることができず、また援助団体の手が届きにくいという困難が伴う。
ヨルダン政府も難民が多い地域では公立学校を二部制にしてシリア難民の子どもたちを受け入れている。内戦のために通学が中断されたことで勉強が遅れたり、心理的な苦しみを抱えてたり、学習に支障をきたしている子どもたちも多い。さらに、二部制で詰め込み授業なので、ヨルダン人の子どもたちにも学力低下や情緒的な影響が現れている。
私たちワールド・ビジョン・ジャパンは、2014年からヨルダン北部のホスト・コミュニティの5つの公立学校で、シリア難民とヨルダン人の子どもたちを対象に、補習授業やレクリエーション活動、食事の支援を行っている。シリア難民の子どもたちの世代が勉強を中断したまま成長した場合、満足な職に就けず犯罪や武装組織に取り込まれ、地域がさらに不安定化する恐れがある。
マンスーラさんと、その傍らで彼女の話を無表情で聞いている2人の息子たちを見て、この負の連鎖はここで断ち切らなければならないと強く思った。
※この記事はワールド・ビジョン・ジャパンの渡邉スタッフが執筆し、2016年3月13日付SANKEI EXPRESS紙に掲載されたものです。
この記事を書いた人
- 大学卒業後、一般企業に勤務。その後大学院に進学し、修了後はNGOからアフガニスタンの国連児童基金(ユニセフ)への出向、在アフガニスタン日本大使館、国際協力機構(JICA)パキスタン事務所等で勤務。2014年11月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。2015年3月からヨルダン駐在。
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