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クリシュナの日の丸 (物語)

私は東京をベースとして、様々な国で展開されるWVJの海外支援事業を訪問する。事業地では必ず大歓迎されるが、時には複数の村々を上げての大イベントとなるケースも少なくない。ゲストが到着する日は、小学校は明らかに休校状態で、子どもたちはゲストの出向かい役で、時には歌やダンスを披露してくれたり、詩を読んでくれたりする。これら歓迎セレモニーが催される小学校やプロジェクト事務所周辺では、珍しい日本からのゲストを見ようと村人たちでごった返し、その人々の周りを何某かのおこぼれに預かろうという犬たちが、人間たちちに叱られないかなというような目つきで、うろうろキュロキョロしているのが常である。

まるで国賓級のゲストとして迎えられる私としては悪い気はしないが、「そこまでしてくれなくても!?」と引いてしまうこともある。ある時インドの村での大歓迎セレモニーの中で、ふと思ったことがある。それは、ここで緊張しながら私の首に花輪を欠けてくれ、歌やダンスを披露してくれた子どもたちやその親たちはどのような思いで、村の一大イベントともいえる私の歓迎セレモニーを用意してくれたのだろうかということである。そんなことを思い巡らしながら小さな物語を想像して書いてみたことがあった。

クリシュナの日の丸:インドのある家族のお話(フィクション)

-掲載写真と物語の関連性はありません-

クリシュナは、今晩も一生懸命白い紙に鉛筆で丸を書いている。しかしどうもきれいに描けない、、。彼は、まだ小学2年生だ。彼ぐらいの年齢では、紙の中心にしっかりと美しい円を描くことは大人が考えているほど楽ではないのだ。何度もゆっくりと慎重に描こうとしても、片側が欠けたり、最後の線が結び合わなかったり、コンパスで描くようなきれいな円にならない。クリシュナは少し焦っている。きのうの晩は何とか一枚きれいに描くことが出来たが今晩中にあと3枚書いて学校に持ってゆかなければならないのだ。それもきれいな円を紙の中心に描くだけでなく、その円を赤く塗りつぶし、その紙の片側をのりで30センチほどの棒にありつけて始めて完成なのだ。インドの小学校では先生の言うことを聞かない生徒や約束を守らない生徒は容赦なく鉄拳ふるう。従ってクリシュナにとって担任のアマール先生は誰よりも恐い存在なのだ。”もし明日までに出来なかったらどうしよう”クリシュナはベソをかきだしている。台所で夕ご飯の支度をしていた母のカビタが見かねてかたわらにやってきた。しかし彼女にも簡単に美しい円を書く術はないのだ。なぜならばカビタは貧困ゆえに子どものころ学校にゆけず、鉛筆すら握ったことが無いのだ。カビタは息子の頭をなでながら「心配いらないよ、お父さんが戻ったら手伝ってもらいなさい」となだめている。 コクリとうなずくクリシュナ。母カビタにとってクリシュナは自慢の息子だ。自分にとって全く未知の世界である字を読むことや書くことを、まだたどたどしくではあるが我が子はできるのだ。

家の外につないであるやぎの声がうるさい。父のサイードが日雇い仕事から帰ってきて餌を与えているのだ。サイードは家に入るなり自分専用のわらので作った座布団に座り、「メシだ、メシメシ!」とまるで嵐のようだ。 「ハイ、ハイ」とカビタは、またかというような声でクリシュナを離れ、となりの小さな台所に戻る。クリシュナは相変わらず半ベソでうつむいている。「どうしたクリシュナ?」とサイードは荒々しく声をかける。サイードは頑強なタミール人で、粗野だが人一倍愛情の深い男である。クリシュナは父に事情を説明しながら、とうとうヒクヒクと泣き出してしまった。「なーんだ、そんな事か!」 父はクリシュナの脇へ行きその鉛筆を取り上げ、アッという間に次々ときれいな丸い円を3枚の紙に書いてしまった。それはクリシュナにとって魔法のようだった。クリシュナは父が大好きであった。サイードもカビタ同様に字を読むことも書くことも出来ない。しかし彼ははとても器用で、家を建てたり、魚を捕る網を作ったり、またクリシュナにヤシの木ののぼり方を教えてくれる。

DCF 1.0泣きべそのおさまったクリシュナは楽しげに円を赤い色鉛筆で塗りつぶしている。クリシュナにとって昨年日本のチャイルド・スポンサーから送られてきたこの24色の色鉛筆は大切な宝物であった。 「おい、ちょっと止めてご飯を食べたらどうだ?」 父は皿にもられたご飯と野菜のカレーを右手で器用にこねながらクリシュナに声をかける。「だめですよお父さん、クリシュナが色鉛筆をもったら夢中になって、誰の言うことも耳に入らなくなるんですから。」 と息子をかばう母は、鉛筆をもつ我が子を見つめるだけで満足な気持ちになってしまうのだ。

父:おいクリシュナ、村の人に聞いたんだが明日村の小学校に日本からチャイルド・スポンサーっていう人たちが来るそうだな?

クリシュナ:そうだよ、そのときにこの日本の旗を振って小学校のみんなで歓迎するんだよ。

父:そうか、それは日本の旗か。明日は日雇いの仕事もないし、とおちゃんも日本人を見にいってみようかな。

母:だったら私も行きたいわ!日本人てどんな顔をしているのかしら?

父:お前は無理だろうバハラティの面倒を見なければ。
*バララティは11ヶ月になるクリシュナの妹である。

母:大丈夫よ 抱っこして行けば問題ないでしょう。

父:そうか、それなら一緒に行ってみようか。

母:行きましょう、行きましょう。楽しみだわ。

クリシュナは両親の会話には気にも止めずに相変わらず、旗の色づけに夢中である。部屋の傍らには妹のバハラティがすやすやと寝ている。

南インドのマリユール村の夜はふけていった。 カビタは先ほど食事をしていた8畳ほどの部屋にワラのマットを敷いている。家族にとって食事をするのも寝るのも全てこの部屋なのだ。もちろんクリシュナの勉強もこの部屋だ。でも村ではみんな同じようなつくりの家にすんでいるので、誰も特に不便は感じることはなかった。マットを敷き終わると二人の子どもを父と母が挟むようにみんなで横になった。南インドは年間をとうして熱いので、毛布の必要はなかった。 夜8時、テレビのない家族の就寝は早い。クリシュナの枕元には、出来上がったばかりの4本の日の丸が大切に置かれていた。 家族のみんなが横になったのを確認し、母のカビタが土壁の溝に置いてある小さな灯油ランプの火にフッと息を吹きつけた。部屋は一瞬漆黒の幕で覆われたが、ガラスのない小さな土の窓からは月明かりが部屋に差込み、家族の夜を照らしている。 クリシュナ、父、母の其々は、明日村にくる日本人たちの事に暫く思いをめぐらせていた。しかし、やがて静寂の中からは幸せそうな4つの寝息が聞こえていた。

この記事を書いた人

高瀬一使徒
高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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