ワールド・ビジョン・ジャパンは、モンゴルではチャイルド・スポンサーシップを通して首都ウランバートル市内のハイラアスト地域開発プログラム(以下、ADP)と、ウランバートルから西に約1,700kmに位置するバヤン・ウルギーADPの2地域を支援しています。そのモンゴ ルを新たに担当することになり、4月に現地を訪ねました。
モンゴルの春は遅く、この時期になっても時おり雪が舞う悪天候続き。バヤン・ウルギーADP訪問は、フライトがたびたびキャンセルになり、ウランバートルからの往路も復路も、旅程がそっくり1日遅れるほどでした。
バヤン・ウルギーADPのあるモンゴル西部はロシア、カザフスタン、中国と国境を接する地域。住民の9割はカザフ系で、市内にはイスラム教のモスクが点在しています。寒暖の差が著しく、冬はマイナス24~35度、夏は20~40度にまで上がる厳しい環境にある地域です。
社会主義体制の下、医療、教育、社会保障なども全面的に政府が責任を持っていたモンゴルですが、90年代初頭の世界的な社会主義体制の崩壊に伴い行政サービスが機能しなくなりました。同時に貧富の格差も広がり、職を求めて地方から首都ウランバートルへの人口流出が始まります。このような中、もっとも影響を受けたのが老人や障がいを持つ大人、そして子どもたちでした。
行政サービスが行き届かなくなった半面、市民が自由な声を発したり独自のグループを組織したりする社会の民主化は進みつつあります。そこで、バヤン・ウルギーADPの活動では、地域の住民が支援を通じて自らの力をつけ、協力し合い、行政に自分たちの声を届けたり、良い関係を構築できるような活動も進められています。その一つ、教育プロジェクトの一環で行われているのが、障がい児リハビリテーション・センターへの支援です。
このセンターは、障がいを持つ子どもたちの親の会が中心になって設立されました。子どもたちへの政府からの医療リハビリテーション支援が限られていることに対して、親たちが結束して自らサービスの提供を行っています。町外れに設置されたセンターでは現在、50人前後が簡単な医療リハビリと学習支援のサービスを利用しています。
利用者の一人、ジャハンギルちゃん(仮名)は18歳。足に障がいがあり、自由に移動することができません。母親が彼女を支えて小学校までの送り迎えや、授業を受ける手伝いをしていました。しかし、彼女が11歳の時にその母親が急逝。それからは送り迎えする人がなくなり、かつ学校も受け入れる用意がないと断られたために、ずっと家にこもりきりとなってしまいました。
その彼女が、再び家の外に出て同世代の子どもたちと交流したり学習したりできるようになったのは2009年。ワールド・ビジョンの障がい児リハビリテーション・センターへの支援が始まってからでした。センターでは、医学的リハビリテーションを続ける傍ら、途中だった読み書きの学習も続けることができるようになったジャハンギルちゃん。センターで歌の技能の高さを見出され、ワールド・ビジョン主催の全国子ども演芸大会に参加し、銅賞を受賞しました。次の目標はと尋ねると、年齢は高くなってしまいましたが、「再び地域の学校でしっかりと勉強したい」と希望を語ります。
センター長のエルランさんは、本職は学校の教師ですが、仕事の合間を縫ってボランティアで毎日センターに足を運びます。自身の娘さんもこのセンターの利用者です。エルランさんからは、「このセンターは障がいを持つ子どもたちの最終目的地ではなく、ここを通過点として地域の学校や社会に出て行けるようになることを目指しています」、とお話しくださいました。
実際に、このセンターでのトレーニングを受けて地域の学校に再統合された子どもたちもいるとのこと。そのためには子どもたちの能力を高めるだけでなく、地域の学校の教員に対して障がいを持った子を受け入れるノウハウも教えているそうです。聴力に障がいのある子どもたちも授業に参加できるよう、聴者の教員や生徒に手話を教える試みも始められているということです。ゆっくりと、でも着実に、障がいを持つ子も持たない子も共に受け入れられる地域づくりが始められていました。
ADPでは当初、この親の会に対して活動場所の確保のために簡素な伝統家屋「ゲル」を支援。会の活動が継続、発展的に拡大していることを見極め、行政も関心を持ったところで、その行政の財政的支援と合わせる形でコンクリート造りのセンター建設に協力しました。地域の団体やグループが力を付けていくのを見極めつつ、継続したかかわりの中で支援を行う、地域開発の好事例といえます。
社会主義時代の名残で、いまだに行政やNGOに対してモノやサービスを提供してもらうことのみを期待する人々が多いモンゴルですが、このような人々の主体的、また先駆的な取り組みが広がっていることに喜びを感じました。モンゴルのADPでは、来年、これまでの活動のふりかえりとこれからの計画を練り直す予定です。貧しく弱くされた子どもたちとその家族の夢を少しでも実現するために、しっかりと取り組みたいと決意を新たにしました。
この記事を書いた人
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国立フィリピン大学社会福祉・地域開発学部大学院留学。
明治学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了。
社会福祉専門学校の教員を経て、2000年1月より社団法人日本キリスト教海外医療協力会のダッカ事務所代表としてバングラデシュへ3年間派遣。
2004年12月から2007年3月までは国際協力機構(JICA)のインド事務所企画調査員。
2007年9月から2年半は、国際協力機構(JICA)のキルギス共和国障害者の社会進出促進プロジェクトで専門家として従事。
2010年9月、ワールド・ビジョン・ジャパン入団。
支援事業部 開発事業第2課 プログラム・オフィサー。
2020年3月、退団。
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