バングラデシュは、インドとミャンマーの間にある、国土全体は日本の半分以下という小さな国です。世界の貧国の一つと言われています。そんな小さく貧しい国に、ミャンマーから100万人もの人々が逃げてきました。彼らは、ロヒンギャという民族の人々です。
ロヒンギャは、ミャンマーとバングラデシュの間に住んでいましたが、ミャンマーの人ではないので出ていくようにと言われてしまいます。そのことを契機に起こったミャンマーの人々との間の争いのため、ロヒンギャの人々はバングラデシュに逃げてきました。徒歩で、です。その中には、女性も子ども、そして赤ちゃんもいました。
100万人がどっと押し寄せてきたら、皆さんだったらどうしますか。広い土地が必要ですね。バングラデシュ政府は、山や田畑を切り崩し、キャンプと言われる仮住まいを作り、それを住む場所としてロヒンギャに提供しました。
キャンプには、ワールド・ビジョンのような支援団体から配布される食糧はあります。病院や、子どもたちが自由に遊ぶスペースもあります。しかし、好きな食べものを買うお金はありません。そもそもお店がありません。逃げてくる途中、家族や友だちから離れてしまい、寂しい思いをしている人もいます。ですが、携帯の電波は通じません。
女性や子どもたちは、虐待や人身取引の危険と常に隣り合わせにあります。実際に、そのような被害に合う女性や子どもたちは多くいます。キャンプの中には、寺子屋のような教室はありますが、公的な学校はありません。キャンプから出て学校に通う自由もありません。生活することはできても、イキイキと生きるには程遠い現実がそこにあります。コロナの期間を含め、彼らはこのような場所にすでに6年います。10歳だった子どもは16歳なのです。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、ロヒンギャ難民やキャンプの周辺に住む人々のために、2017年より支援活動を行ってきました。子どもたちが安心して遊んだり学んだりできる場所を増やしたり、お母さんたちのために裁縫教室をしたりといった活動です。
暴力を受けた女性が安らぐことができる施設の建設も行いました。少しずつではありますが、キャンプ場の様子は確実に改善をしていました。
新型コロナウイルスがもたらした影響
そんな2020年、新型コロナウイルス感染症の影響がキャンプを襲いました。キャンプ内で拡大する感染症、深刻化する経済的困難、増加する家庭内暴力の件数。女性・女子は外出が制限され、なお一層、自由に行動することができなくなりました。状況は厳しさを増す一方で、現地スタッフは電話など出来る手段を使ってキャンプ内の人々との繋がりを保つ努力を惜しみませんでした。
月日の経過とともに、現地スタッフはキャンプに入ることができるようになりましたが、私自身は、2年も事業地の視察が叶いませんでした。長年事業バタケでやってきた私としては、大変なストレスです。私は、メールやビデオ会議でやりとりを続けながら制限の中でも人々に寄り添おうとしている現地スタッフのサポートを試みました。
社会の状況が落ち着きを見せはじめ、ようやく実現した事業地視察。そこで目撃したのは、コロナ前よりも進んだ貧困でした。長引くキャンプ生活、先行きが見えない不安。減少する支援。少しずつ積み上げたものが逆戻りしたような状況を目の当たりにし、驚きを隠せませんでした。そんな私の先入観がそうさせたのかもしれませんが、キャンプの人々の顔にも希望を見ることができませんでした。
「またイチから…」。覚悟に似た感情を抱きながら日本に帰国しました。
見失いかけた希望の先に
コロナ明けの事業視察から約1年3カ月。キャンプには、確かに希望の種が見えます。その理由は、現地の人々の変化です。女性や女子に対する暴力を失くすための活動を例にしましょう。
現地の人々がこの課題を自分たちのものとして受け止め、少しでも健やかに生きることができるようにと率先して地域の人々に働きかけをはじめています。
ワールド・ビジョンの研修を通じて、暴力が女性に与える身体的・精神的影響を学んだり、そのような暴力の背景にある文化的伝統について振り返った参加者は、戸別訪問やモスクでの集会を通じて、啓発メッセージとして研修の内容を地域に発信しています。また、暴力の被害を受けたサバイバーに対しては、適切なサポートが受けられるよう、より専門的なNGO等に照会したり、キャンプの行政官に被害のケースを報告したりと、地域のリソースを有効活用する様子も伺えます。
研修の内容を忘れないよう、リフレッシャー研修や定期会合に参加するなど、主体性をもって継続的に地域の課題解決に取り組もうとする意欲が伝わってきます。
こういった支援の成果の広がりは、女性・女子を守るためには非常に重要です。ジェンダーに基づく暴力の削減は、女性・女子を力づけたり、行政の対応を強化したりすることに加えて、地域や家庭での取り組みや、社会全体の変革を必要とするからです。
慣れ親しんだ慣習を変えるということは簡単ではありません。私自身を振り返ると、小さなひとつの行いを変えることでも難しいと感じます。でも、彼らはとても難しいと言われることに勇気を持って取り組み、実際に地域に変化をもたらしていました。人々のたくましさに感動を覚えます。
避難生活。制限される自由。自分が彼らの立場にいたら、なぜ私にこのような不幸が降りかからなければならなかったのか、という思いにとらわれ、前に進むことができなかったかもしれません。しかし、彼らは諦めず、故郷を離れてでも、生きようとしている。支援団体の支えを活用して、自分たちの力で地域の課題を解決しようとしている。困難な状況により、生きる力は弱められているかもしれない。その生きる力を信じ、一緒に大きくすること。
これが、私たちワールド・ビジョンのスタッフの仕事なのだ。
神様は、こうした現地の人々の変化を私にも見せてくださいました。今、私は、人々の強さや神様の憐みを通して、困難に直面するこどもたちへの支援の想いを新たにされています。
「”何もかも”はできなくとも、”何か”はきっとできる」
これはワールド・ビジョンの創始者ボブ・ピアス宣教師の言葉で、私自身が大切にしている考え方でもあります。
「何かはできる」と思うか、「何もできない」と思うか、私はそれを選ぶことができます。難民に心を寄せること、希望を持って温かく接すること、それも「何か」になります。
聖書の中で、イエス様は、神様が私たちを愛していると度々おっしゃっています。世界には本当に理不尽だと思うことが沢山ありますが、アドベントを迎えるにあたり、神様の愛をいただいた者として「何もかもはできなくとも何かはきっとできる」と信じ、活動を続けていきたいと思います。
一人でも多くの子どもたちに希望を届けたい
ワールド・ビジョン・ジャパンでは、厳しい環境で生きる子どもたちのために、「難民支援募金」をご案内しています。
紛争により家を追われ、生活が一変した子どもたちに難民支援募金にご協力ください。
関連リンク
・ワールド・ビジョンとチャイルド・スポンサーシップの歩み
・希望の種をまく難民・国内避難民支援:バングラデシュ
この記事を書いた人
- 青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、旅行会社で勤務。学生時代に訪問し、細々と支援をしていたフィリピンの子どもたちのために働きたいと、フィリピンに渡航。現地の市民団体でボランティアをしながら、フィリピンの大学院で社会福祉を学ぶ。卒業後、NGOで緊急人道支援や開発事業に従事。2017年10月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団し、2018年4月~2019年4月まで、バングラデシュに駐在し、水・衛生事業を担当した。現在はバングラデシュやネパール等の開発事業と緊急人道支援プロジェクトを担当している。
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