ミャンマーで学校を建てている、という話をすると、必ず聞かれるのが、「その後のケアは?」ということである。
前職が開発コンサルタントだったため、特にその仲間たちは、現地政府機関をカウンターパートにするコンサルタントに比べ、コミュニティに近いところで動けるNGOが、事業後のフォローアップという点でどのようなスタンスをとっているのか気になるという。
ODAでの箱物支援だけをとっても賛否両論、様々な議論があるが、一定期間だけお金や人員を投入し大々的に事業を進めても、その後、相手国や地域に「あとはよろしく!」と丸投げするのでは、結局、提供された箱物に対する維持管理やソフトコンポーネントに対する意識が低いまま、そこに回される資金も不足し、施設が使われなくなったとか、修理部品の調達ができずそれっきり、などマイナスの結果を導くことも少なくない。
その点、今回の学校再建事業は、緊急支援の枠組みの中で学校を建てるものだが、将来的には地域開発事業地とし、10年以上の比較的長い事業期間、じっくりと地域の成長と関わっていく予定であり、作りっぱなしになるという懸念は小さいのではないかと思っている。
一方で驚くのは、地域の回復力の強さである。
サイクロン被災直後、人道支援機関から配られた防水シート等のアイテムを活用し、仮設学校が再建、あるいは壊れたところが応急処置され、被災1カ月後から授業が再開されてきた。これらの学校に私が最初に訪れたときには、足元がぐちゃぐちゃだったり、アクセスが悪かったり、いろいろな課題が目に付いた。
しかしその2カ月後、再び現場を訪れた際には、竹材で床が上げられていたり、ココナッツの実を敷くことで足場が固められていたりと、当初の問題点がいろいろクリアされていた。「誰がやったの?」と聞くと、コミュニティが被災した寺院や学校の廃材を集めて作った…とか、父兄が見かねて作った…という話。
素晴らしい!なかなかに回復力がある地域だと思う。これは同時に、支援慣れしていないという証拠ともいえる。今思うのは、この地域の回復力が持続されるような支援をしたいということである。
緊急期から復興期への繋ぎにあるこの時期、事業を通じて必要は満たしたいけれど、支援しすぎたり、支援慣れさせてしまえば、必ずこの回復力は殺がれてしまう。誰かが助けてくれる、困ったら助けを求めればいい…このシナリオは避けなければならない。
日本のODAの削減が続き、国際支援そのもののあり方が問われる中、私たちNGOは各事業の中でどのような働きができるのか。
支援を受ける人々の回復力そして持続力が維持されるよう、支援が及ぼす効果や影響を慎重に見据える力が求められていると思う。
この記事を書いた人
- 神奈川県生まれ。早稲田大学・同大学院理工学研究科にて、アジアの建築史について学ぶ。在学中に阪神淡路大震災でボランティアを経験したことから、防災や被災地支援がライフワークに。卒業後は建設コンサルタント会社に勤務。自然災害を中心とした国内外のインフラ事業に従事する。2008年6月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。サイクロン後のミャンマー、大地震後のハイチで復興支援に取り組む。東日本大震災後は、一関事務所の責任者として岩手県に駐在した。2014年4月から、アフリカのスポンサーシップ事業を担当後、支援事業部 開発事業第2課に所属。2017年1月から2019年12月までネパール駐在。2020年1月退団。2024年4月、ワールド・ビジョン・ジャパンに再入団。ネパール駐在。
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