2002年以来、ワールド・ビジョン・ジャパン(以下WVJ)で、災害や内戦で緊急支援が必要となった子どもたち、また途上国に根強く残る児童労働や、HIV/エイズなどで親を亡くした子どもたちを救うべく、皆さまに募金へのご協力をお願いする仕事をしているのが私です。
今、南スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国などの子どもたちのために役立たせていただくために、皆さまにお願いしているのが夏期募金です。どの国の子どもたちも、環境や原因は異なっても窮状は深刻ですが、少し南スーダンについて、思うところをお話します。
南スーダン共和国は2011年7月に独立を果たした新しい国です。
それまではスーダン共和国の南半分で、常に内戦があり、平和など夢のような地域でした。WVJはここで、2000年前後から支援を行ってきました。その歩みは、スーダンの歴史に沿って変化しています。以下、私の記憶をたどります。
2000年から2003年ごろ、スーダン国内の内戦からケニアに避難した子どもたちや人々をケニアの難民キャンプで支援を行いました。
当時、スーダン国内での支援活動はスタッフの命が危険にさらされることにもなり、不可能でした。その後、スーダン政府から念願の許可が下りて、国内での活動が許される数少ない団体となりました。2004年暮のクリスマス募金では、ダルフールでの国内避難民への支援を皆さまにお伝えし、多くの方からご支援をいただいています。
2006年、南部スーダンのアッパーナイル州での活動を始めました。(その後を思うとつかの間ですが)その前年の和平締結で内戦が終結し、避難する前に暮らしていた地域に戻る人々(帰還民)への水、衛生支援でした。社会施設のほとんどが破壊され安全な水を手に入れるすべがなく、ナイル川の濁った水をそのまま飲んでいた子どもたちが対象でした。
そして2011年の独立。時が経つにつれ、人々は落ち着きを取り戻し、子どもたちへの教育支援が始まりました。教育は未来と希望の礎となるものです。おとなたちは家畜を飼い、収入も向上し始め、平安な日々の訪れを実感しているようにさえ見えました。しかし、このささやかな平和の実感も2013年12月に始まった激しい内戦により、潰れてしまいました。
私たちがアッパーナイルで支援していた子どもたちも、新たな戦火を避けて避難しばらばらになりました。今、私たちは、南スーダン国内で水・衛生支援や、内戦で心に傷を負った子どもたちへの精神的なケアを行っています。これらは皆さまからの夏期募金があってこそ可能となっています。
活動を継続するのは、支援を必要とする子どもたちが存在するからですが、それだけではありません。草の根で活動を行うNGOは、実際に現地の子どもたちや人々に寄り添い、状況を一緒に経験するだけに、人間の温かみや悲しみを共有しています。子どもたちの笑顔や何気ない表情が忘れられず(写真)、胸が締めつけられます。
いつかスーダンでチャイルド・スポンサーシップによる支援を行いたい、と願っています。厳しい貧困のなかにも、スポンサーの方をお連れするほどの平和があり、子どもたちのために長期的な支援を腰をすえて行える時がくることを信じています。
募金課 野田敬輔
南スーダンの子どもたちへの支援の詳細と募金はこちら
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世界の子どもたちの健やかな成長を支えるために、東京の事務所では、皆さまからのお問合せに対応するコンタクトセンター、総務、経理、マーケティング、広報など、様々な仕事を担当するスタッフが働いています。
NGOの仕事の裏側って?やりがいはどんなところにあるの?嬉しいことは?大変なことは?スタッフのつぶやきを通してお伝えしていきます。
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