国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフブログ

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[ルワンダ] ぼくのお父さんは教師だった。教え子に殺された

2015年3月、17名のチャイルド・スポンサーが参加した「地球あちこち~ルワンダを知る旅」(以下、ツアー)で現地ガイドをつとめてくれたジョン。

ジョンは、ツアー初日からテンションが高く、暇さえあればジョークを飛ばして私たちを楽しませてくれるような陽気で明るい人でした。鳥を愛しているらしく、移動中に見つけた鳥を、数冊の図鑑を駆使して楽しそうに説明してくれました。

後列左:ジョン 右:筆者。アカゲラ国立公園でサファリ中

後列左:ジョン 右:筆者。アカゲラ国立公園でサファリ中

「ルワンダのことは何でも聞いて!ぼくに任せて!」
と言ってくれるので、遠慮なくジェノサイドの歴史、当時の様子、政治との関係、その後の平和構築について根掘り葉掘り聞きました。

ジョンは38歳。ジェノサイド(大虐殺)は22年前なので、当時16歳。
フツ族だったのかツチ族だったのか、どのように生き延びたのか、
「彼自身のジェノサイド・ストーリー」について聞きたかったですが、その心の深くにある思いは聞くことができませんでした。

そんな中、首都キガリにあるジェノサイド・メモリアル(虐殺博物館)に行く日になりました。

毎朝楽しそうにホテルに迎えに来てくれていたジョンですが、この日の朝はどことなく雰囲気が違います。
ジョンに「色々教えてね」といつものようにお願いしたら、見たことのない悲しい表情でこう言いました。
「ぼくは中には入れない。殺されたお父さんが中にいるから。今まで一度も入ったことないし、今後も入る気はない」
「ぼくのお父さんは教師だった。教え子に殺されたんだ。その教え子はぼくの友だちだった」
返すことばがなかった。

犠牲者の写真の数々。虐殺博物館にて

犠牲者の写真の数々。虐殺博物館にて

ジョンが話してくれたことをきっかけに、ツアー中いつも明るくゲラゲラ笑っていた40代であろうワールド・ビジョン・ルワンダのスタッフに「あなたのジェノサイド・ストーリーについて話してもらえないか」お願いしてみた。

急に悲しい表情をし、”I’m sorry. No.” と言った。

国レベルで成功してきた数々の和解プロジェクトについて見聞きした1週間だったが、個人レベルではまだ傷を負っている人が多いことを知り、「ルワンダ」が抱える傷の深さに触れた思いがしました。

ツアー最終日に、ジョンがわたしたち全員に向けてメッセージをくれました。

「ルワンダ人はみんなワールド・ビジョンのことを知っている。ジェノサイド後に助けてくれた優しい団体と人たちだ。でも、日本のスタッフとチャイルド・スポンサーに会ったのは初めてだった。素晴らしいはたらきをありがとう。ジェノサイド後のルワンダを助けてくれて、ありがとう。本当にありがとう」

彼が通った悲しい過去について知っていたのもあり、みんな号泣した。

支援地域のチャイルドを抱くジョン

支援地域のチャイルドを抱くジョン

現地の人との出会い、そしてその人の人生や想いとの出会いが
わたしの日々の働きを形づくり、励まし、支えてくれています。

ありがとう、ジョン。

チャイルド・スポンサーシップ課 堂道 有香

この記事を書いた人

WVJ事務局
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世界の子どもたちの健やかな成長を支えるために、東京の事務所では、皆さまからのお問合せに対応するコンタクトセンター、総務、経理、マーケティング、広報など、様々な仕事を担当するスタッフが働いています。
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