【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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黒柳徹子さんと黒柳朝さん

ゴミ山の中から売れるものを探す子どもたち

ゴミ山の中から売れるものを探す子どもたち

先日、国連大学で行なわれたユニセフ親善大使であられる黒柳徹子さんの活動25周年記念式典へ出席させていただいた。徹子さんは現在でも一年に一度はテレビ朝日のクルーを従えて災害、紛争、貧困の犠牲になっている子どもたちが住む地を訪問し、テレビを通じて当人たちが言葉にできない痛みや苦しみを彼女の天性である話術をもって茶の間の方々に紹介し支援の必要を訴えている。そればかりか彼女の25年における活動は、その番組を見ていた心ある若者に少なからず影響を与え、私自身がそうであったように、漠然とではあるが人道支援や開発支援のプロの道を模索するきっかけを与えたのではなかろうか。“芸能人に何がわかる”と毒づくのは簡単ではあるが、芸能人だからこそ届けることができるメッセージがあり、それを25年間訴え続けてこられた実績に心より敬服するしだいである。

さて、式典のクライマックスとなる記念の盾をユニセフ本部の事務局次長から贈呈された黒柳徹子さんは、返礼のスピーチを始められた。聴衆を魅了する彼女の話を聞きながら、3年前天国へ帰られたお母さまの黒柳朝(ちょう)さんを思い出していた。
朝さんは、ワールド・ビジョン・ジャパン設立初期のころから団体の親善大使としてお骨折り下さった。
そして、徹子さんと同じように途上国の貧困の現場(マニラのスモーキーマウンティン)に行ってくださったこともあった。
私はその時に彼女をエスコートする機会を与えられ、その深い愛とエネルギーをお側で直接感じることができた。
北海道出身で暑いのは苦手といっていた朝さんはその時すでに80代半ばであったと思われるが、炎天下の中で子どもたちの手を握り微笑ながらカメラの前に幾度となく立ってくださった。

元親善大使 黒柳 朝さん

元親善大使 黒柳 朝さん

また、旅行中に徹子さんにまつわる幾つかのエピソードも聞かせていただいた。
その中の1つは今でも思い出すと感動するのである。徹子さんがユニセフの親善大使をされて間もなくのころ、ある芸能人仲間から、こんなことを言われたという。

“あなた、よくやるわよね。だって集められたお金の全部が現地に届くわけじゃないんでしょう”徹子さんは何も答えなかった。しかし家に帰るなり涙ながらにお母さんに“私こんな事をいわれたのよ、悔しくてしょうがない。だって、何もしなかったら何も届かないのよ” 朝さんは言った。 “そうよね、徹子の言うように何もしなかったらゼロですものね”娘徹子さんの話になると彼女の顔は母親のものに変わっていた。変わらぬわが子への愛情が彼女の生きるエネルギーとなっているようだった。
5分の予定であった返礼スピーチはあっという間に15分を経過していた。スピーチが終わり万雷の拍手が聴衆から壇上の徹子さんに送られていた。聴衆の多くは席から立ち上がって敬意を表した。微笑みながら拍手に答える徹子さんと朝さんが私の中で重なり合っていた。

この記事を書いた人

高瀬一使徒
高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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