【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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NGOに就職を希望する方々へのメッセージ

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① NGOへ就職を志す方々の心構え

第一に、どのような生き方をするのか明確にすべき!

NGOの仕事の90%はサラリーマンのような事務ワーク、つまり文書作成、計算、業務管理等である。しかし一般のサラリーマンとの比較すると報酬は少ない。(大企業の同年代社員やJICAや国連職員の5~6割程度が相場と考えた方が良い)また、NPO・NGOという民間団体職員は、社会的信頼度が高いとはいえない。例えば銀行から住宅ローンを借りる際に、サラリーマンとして返済の信頼性を問われれば、大企業の社員より低く評価されるであろう。苦労はサラリーマンと同じでも給与や社会的信頼度は低いとあっては、将来の結婚や家族を考えると、NGO活動は職員としてではなくボランティア程度という結論に達する方々の気持ちも充分理解できる。
しかしそれでもNGO職員を希望する方には、“途上国の貧しい人々に役に立つ人生を送りたい”という人生の大儀、高潔なる人生の目標を持っていただきたい。これがNGOの職員としての意義である。

第二に、つつましい生活の中に豊かさと喜びをかんじる人生を求める!

貧しい中でも家族が助け合い、地域の人々が助け合って生きてゆく。これは、WVJの支援プロジェクトで実現しようとしている事である。そのように自分自身も生きるべきであると考えている。
それを実践しようと、自身は3人子ども(個人的なことであるが4人目が7月に誕生する)を育てながら、2人の途上国のチャイルド・スポンサーをしている。 また日本で両親に虐待を受けた子どもたちを保護している福祉施設に若干ではあるが継続的な経済的支援も実践している。貧しい子どもたちと自分なりに共に生きているのである。自身は一般的な日本人と比較すると経済的に豊かとは思わないが、誰よりも豊かで喜びをかんじる人生を送っていると思うことはしばしばであり、まことに感謝である。

第三に、途上国・貧しい人々のヒーローとなる願望は捨てるべき!

自然災害や紛争で、華々しく出動するNGO職員を夢見るの事はやめた方が無難。多くの場合、援助の最前線で働くのは現地のスタッフたちである。支援国NGO職員の多くは、現場では予算の管理をしたり、企画書や報告書を書いたり、目立たないが大変重要な縁の下の力持ち的な存在である。また、援助の現場とは直接的には関わりの少ない支援国内の募金活動や広報活動が、現場の仕事を支えている事実を、NGO職員を希望する方々は充分に認識すべきである。

② どのような人材がNGOで求められているか?

日本のサラリーマン生活・社会人としての経験を有した人。学歴や学位は、現実のNGO業務の中ではあまり意味をなさない。危険な伴う現場でも出向いてゆくコミットメント。申請書や報告書の締め切りを守るために徹夜でも仕事を行なう気力・体力。資金が必要とあれば、地を這いつくばるような募金活動でも喜んでする、しなやかな強さ。困難から逃げない人。チーム・プレーの出来る人。英語はどんな職種であろうとNGO職員であれば必須と考えるべき。どんな分野であれ専門性も持っていた方が良い。特に、経理、IT、人事、マーケティング、広報関連、保健医療関連、農業、土木施工、マネージメント等の需要は高い。

③ どのようなキャリアパスが必要か?

企業のサラリーマン、青年海外協力隊、国連機関やNGOでインターンとして働く、ボランティアでNGOに飛び込む等々、、。
気合だ! 気合だ! 気合だ!

④ 最後に私自身どのような経緯でNGO(WVJ)で働くようになったか?

某大学文学部を卒業した後に、オーストラリアで2年間英語を学んだ。帰国の途中でタイのバンコクに寄り、そこで知り合った友人にスラムに案内された。スラムを見たことは始めてであった。そして、そこに住む人々の悲惨な生活環境にショックを受け、将来何か手助けが出来ないかと漠然と思うようになる。その後、青年海外協力隊に参加し2年間モロッコに派遣される。仕事は貧しい人たちのために貢献するようなものではなく、自身は月5万円程度の生活手当てで優雅な生活を送っていた。そんな時期の自分自身に自戒の念を込めて、援助関係者の一部に見られるような援助貴族にはなるまいと心に誓った。しかし、途上国の弱い人たちの役に立にちたい、そして出来ればそれを生涯の生業として携わりたいという思いは一層強くなっていった。モロッコより帰国後にキリスト教の神学校に入り、自己の醜さと生きる指針を教えられた。その後WVJの創設を知り、WV創設者ボブ・ピアスの言葉に出会い感銘を受けた。

Do not stop doing something just because you can not do everything

体当たりでWVJの門を叩き、アルバイトのような待遇であったがWVJで働くことを許された。すでに年齢は32歳になっていたが、自身は就職戦線において大勝利を得たと考えている。


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この記事を書いた人

高瀬一使徒
大学卒業後オーストラリア留学などを経て、青年海外協力隊に参加モロッコに2年間滞在。1989年にワールド・ビジョン・ジャパン入団。タイ駐在などを経て、1997年より支援事業部部長(旧 海外事業部)。現在までに訪れた国数約85カ国。4人の子どもの父親でもある。2014年3月退団。
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