国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフブログ

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100万ドルの笑顔

私たちの支援は本当に現地の人々の役に立っているのだろうか。

これは支援に携わる人が誰でも感じる素朴な疑問だろう。いただいたご支援金でどのような活動を実施し、どのような成果が挙がったかを私たちは報告書にまとめ、ご支援くださった方々にお届けする。ただ報告書は、一番伝えたいことをなかなか伝えきれないのもまた事実である。

支援によって食料雑貨店を始めた女性。 内戦で夫を亡くし、一人で3人の子どもを育てている。 商売の経験はなかったが、今では店の収益で子どもたちを学校に行かせられるようになった

支援によって食料雑貨店を始めた女性。
内戦で夫を亡くし、一人で3人の子どもを育てている。商売の経験はなかったが、今では店の収益で子どもたちを学校に行かせられるようになった

現場で支援を受けた人々と直に接していると、支援が本当に役立っているかどうかは、人々の表情や言葉の端々からうかがい知ることができる。

「配布された生計資材で生計を立てられるようになりました。自分の収入で子どもを学校に行かせることができるようになったんですよ」

「研修を受けて、お客さんはどういうものが欲しいのか考えるようになりました。以前は深く考えずに作っていました。これからいろいろなデザインのものを作っていきたいです」

「牛をもらって牛乳を売っていますが、子どもたちにも飲ませています。以前は栄養不良で痩せ細っていた子どもたちの体重が増えたんですよ。体も丈夫になりました」

「研修や会合で隣近所の人たちと顔を合わせた時に情報交換をするようになりました。農作物がかぶらないように調整したり、いい副業になると聞いてカゴ作りも始めました」

生計支援で牛の配布を受けた世帯。 牛乳は販売するほか、自家消費分も確保し、子どもたちの栄養状態改善につながった

生計支援で牛の配布を受けた世帯。
牛乳は販売するほか、自家消費分も確保し、子どもたちの栄養状態改善につながった

そんな話をしてくれる時の人々の表情はとても美しい。
内側から自信と希望がにじみ出る凛としたその笑顔は、100万ドルの笑顔だ。そこにいるのは困難の中から立ち上がり、前を向いて歩き出そうとしている、「恵まれない可哀想な人々」というレッテルを自分の手で剥ぎ取った人々だ。

その姿を見て私は思う。困難の中にいる時、人間が本当に必要とする支援は、自分に立ち上がる力があると信じられるようになること、そして立ち上がるまで寄り添って励まし、応援することなのではないだろうかと。物質的な支援はそのための手段なのではないかと。

人間は誰でも元々立ち上がる力が備わっているのだ。でも困難の中にいる時、私たちはなかなかその力を信じることができない。だからこそ、私たちは困窮の中にいる人々の声に真摯に耳を傾ける必要があるだろう。

支援によってスナック菓子の調理・販売を始めた一家。 その収益で一家が生活し、子どもたちも学校に 行けるようになった

支援によってスナック菓子の調理・販売を始めた一家。その収益で一家が生活し、子どもたちも学校に行けるようになった

コミュニティの人々と話をすると、「私たちの意見を聞いてくれてありがとう」と言われることがある。
私はその言葉に胸を突かれる思いがする。こんなにもたくさんの援助団体が支援活動を展開しているのに、そんなにも人々の声は聞いてもらえないのか。わざわざ「ありがとう」と口にしなければならないほどに。

援助団体はどこも「苦境の中にいる人々を助けたい」という善意で支援をする。しかし良かれと思って実施する支援が人々のニーズに合致していないという事例は悲しいことに支援の現場ではよく耳にする話である。

しかし何よりも人々が「自分の意見を聞いてもらえない」と感じる時、「能力のある一人の人間として扱われ、立ち上がれるように応援してもらっている」と感じることは難しいのではないだろうか。100万ドルの笑顔は人々に対等に向かい合い、彼らの声に耳を傾け、寄り添って支援をした時に出会える表情なのではないかと思う。

農業用機材の支援を受けた一家。 内戦で母親は左脚を失い、末の女の子は右手に後遺症が残るほどの大怪我を負った。 背後には一家が力を合わせて育てている野菜が青々と繁っていた

農業用機材の支援を受けた一家。
内戦で母親は左脚を失い、末の女の子は右手に後遺症が残るほどの大怪我を負った。背後には一家が力を合わせて育てている野菜が青々と繁っていた。

NGOの活動は地味でささやかなものだ。
激動する社会や大自然の猛威の中で翻弄され、直面する膨大な問題やその悲惨さ、根深さに、この活動が、自分の働きが、一体何の役に立つのだろう、と無力感に苛まれることも多い。

でも支援を受けた人々の100万ドルの笑顔に出会う時、私自身もきっと100万ドルの笑顔をしていると思う。
支援を受けた人々が「自分の力で何かをすることができた」と感じる時、私自身もまた「自分のささやかな働きが人々をこんな笑顔にすることに貢献できた」と感じるのだ。

私にも何かができる、そのことが無性に嬉しく、自分のささやかな人生も意味があると感じることができる。人間は誰かを助ける時、同時に自分自身も助けてもらっているのかもしれない。

100万ドルの笑顔は、皆さまからいただいたご支援金や東京事務所の同僚たち、一人一人の働きの全ての総計によって生まれるものなのに、その笑顔を見ることができるのは現場の人間だけで、私は少し申し訳なく思っている。

今度、報告書を目にされる時にはどうか思い浮かべていただけたらと思う。味気ない数字の向こうに、困難から立ち上がった人々の100万ドルの笑顔が輝いていることを。

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