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入団のきっかけ~私を襲った4つの災難 その5

手術の翌日は、人生で何十何回目かの誕生日だった。病室の白い天井を見上げながら、近代治療を受けられない時代だったら、あるいは受けられない状況だったら、私の寿命は昨日で尽きたんだなと思い、生きて一つ歳を重ねた不思議さを思った。

その夕方に医者がやってきて「明日退院」の宣告を下した。「まだ動けないし、付き添いもいないから、もう少し入院させてほしい。」と頼んだが、「お前みたいな小娘(!)に保険会社が保険金を支払うとは思えない」と面と向かって言われ、取り付く島もなかった。
その後、病院のお客様サポート係だという優しそうなご婦人がやって来て、「あなたは一人旅で付き添いもいないそうだから、もう少し入院しては?」と聞いてくれた。私に尻尾があったら振り過ぎて千切れたに違いないと思うほど嬉しくて「ぜひそうさせてほしい」と言うと、ご婦人は医者に頼んでくれたが、医者はあろうことか「院内感染するといけないから早めの退院が必要だ」とのたまった。その二枚舌っぷりに、私はギリギリと歯ぎしりする思いだったが、天使のようなご婦人は少しも疑うことなく、「あなたのためなら仕方がないわね。」とあっさり説得されてしまった。

img20111012さらなる抵抗の甲斐もなく、翌日私はあっさり退院させられた。ほとんど立ち上がることもできず、這うようにタクシーに乗り込み、ダウンタウンの安宿に戻った。1日の大半はベッドに横になって過ごし、1日に1度、近所の食堂へ行って食事を調達するという生活がしばらく続いた。

ある夜、就寝中、天井から突然何かが私の頭から50センチほど離れたところへものすごい勢いで落ちてきた。なぜか生首かと思い、私は文字通り跳び上がった。走り去るその正体は子ウサギほどもあるネズミで、そのまま部屋の隅の暗がりへと消えて行った。静まらない心臓の動悸を聞きながら、やれやれと思った。明日はどんな災難が待ち構えているのだろう?

その頃の私は次の日がやってくるのが怖かった。しかし幸いなことに、災難はそれで打ち止めとなり、また以前のように穏やかな日々が戻ってきた。その後、強盗に遭遇したりもしたのだが、それはもっと後のことである。(それについてはまたいつか機会があれば書いてみたいと思う)。

img20111012_1後日、同い年の友人にこの時の話をして、「厄年かと思ったよ。」と言うと、「何言ってんの。厄年だったわよ。」と返された。厄年、恐るべし。しかし何年もの月日が過ぎた今、振り返ってみると、あれらの災難は今では単なる笑い話になったささやかなハプニングに過ぎない。

もちろんあれらの災難をもう一度繰り返すことは心からご免こうむるが、私はふと思うのだ。あれは私の人生で最も幸運な出来事のひとつではなかったかと。

私はあの時、初めて身を持って知ったのだ。
病気をするということがどんなに苦しいか。
食べられないということがどんなに悲しいか。
治療を受けられないということがどんなに心細いか。
何も起こらない平凡な日常生活がどんなに幸せなものだったか。
そんなことすら分かっていなかったことに初めて気づいたのだ。

あの時以来、一日が平安のうちに終わることがとてつもなく幸せだと思えるようになった。しかし私が安堵して眠りにつく、この同じ瞬間、同じ空の下には、あの日の自分と同じように痛みや苦しみ、不安や心細さに耐えながら過ごしている人もきっといるのだと思うようになった。私に降りかかった災難など実のところ、如何ほどのものでもなかった。しかし世界には本当に悲しく辛い目に遭い、絶望の中で生きている人々がきっと大勢いるのだろう。私が知らなかっただけで。

ひょっとするともう生きてここにいなかったかもしれない自分が生かされているのは何をするためだろう。偶然とは思えないほど短期間に災難がやってきた、あの一連の出来事は何のために起きたのだろう。あの時からずっと心に宿っていた疑問である。そして、仕事の契約が満了して新しい仕事を探していた時にワールド・ビジョンの人材募集を見つけて運命的な出会いを感じ、縁あって入団を許された今、私はその答えを見つけたような気がしているのだ。

長い思い出話にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。そういうわけで、ワールド・ビジョンの海外事業部・緊急人道支援課で働き始めることになりました。これからどうぞよろしくお願いいたします。

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