【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

Read Article

木を植えた男(現代版)~見えるもの、見えないもの~

駐在していると、日本事務所であまり会う機会のないタイプの面白い人に会う機会がある(それがまた駐在の楽しみの一つでもあるのだけれど)。東ティモールに駐在を始めてから会ったAさんもそんな一人だ。

東ティモールの子どもたちと (左後ろが筆者)

東ティモールの子どもたちと
(左後ろが筆者)

彼の役職は気候変動(特に農業・食の確保)分野の技術者・専門家だ。彼の専門は地球温暖化・気候変動が問題視されている近年では注目の分野だが、例えば砂漠化などで、今までの農業のやり方では生活していくのが難しくなっている地域で、どのように農業の方法を変えることでその地域の住民の生活を守っていくのか?といった問題に取り組んでいる分野だ。

Aさんは過去に西アフリカにあるニジェール(隣国マリなどと共に、サヘルの食料危機で昨年少しニュースに出た国だが)に約17年間、妻子を携えての住んでいたという経歴の持ち主である。子どもが6カ月の時から移り住んだというから穏やかな表情と話しぶりからは想像できない大胆さを秘めている。それだけでもう自分的には脱帽だが、彼がニジェールでやった事に何よりも感銘を受けた。

彼がニジェールでやった事、それは木を伐らないように地域の住民を説得していったことだ。

ニジェールの畑

ニジェールの畑

ニジェールでは人口の増加による農地の開拓、農業の生産性を上げる目的での農地内、および周辺の木が伐られており、更に、木が料理の際の燃料や木材や(芽が)家畜の餌としても伐られており、木の伐採、土地の砂漠化が問題となっていた(木には、周辺の水分の蒸発を遅めたり風の影響を弱めることで地表の良い土の侵食を防いだり根っこに住む微生物が地中の成分を増したりするといった効果がある)。砂漠化は農作物の生産性を下げ、すでに貧しい人々を貧しくしていた。

彼はニジェールに着任して数年は木を植えて回っていたそうだが、植えた木は誰かに伐られる(料理の燃料や木材として使われるため)という状態が続いていたようだ。

何度植えても、木は伐られ、彼は地域の住民に農地周辺に木を植える変人扱いされていた。もうやめようかと思ったというが、ニジェールに来たのは神様の導きによるもので(彼はキリスト教徒で当時WVではないキリスト教系の団体で働いていた)、ニジェールに自分が来た理由があり、達成する物が何かあるはずだと信じており、苦しいながらも何も達成しないで辞めたくないと思っていたそうだ。

東ティモールの山はこんな感じ

東ティモールの山はこんな感じ

そんなある日、彼はふっと道路の脇に生えている雑草は実は伐られた木の新芽であり、木の根自体はまだ地中で生きており、再生する可能性があることに気づいた。農地では毎年新芽が雑草として刈られていたのだ。その為、木を増やすには新しい木を植えるのではなく木を伐らないようにすれば良いと気づいた(新しい木を育てて植える必要がない)。そこから彼は周りの人たちに木の新芽を守ってゆくアプローチを諭す用になった。

そんな中、雨が非常に少ない年があり、彼の住んでいた地域では農作物が全滅してしまった。同時期にニジェールで砂漠化の国際会議が開催され、ラジオなどで砂漠化についての情報が共有されることで、人々が砂漠化について関心を持つようになった。

凶作時に政府は公共事業でフード・フォー・ワーク(労働の対価として食料が配られる)として農家は木の新芽の手入れをする事業を行った(ニジェールでは当時、砂漠化に歯止めをかける政策として、木が国有化されていたため、このアプローチが試されることになった)。

その一年は、木の新芽が手入れされ、伐られない状態で残った。次の年にはそのうちの75%の木は以前のように伐られてしまったそうだが、25%の農家は農地に木があることで生産性が減らないどころか、増える事に気づき伐らないで残しておいた。

そして木を伐っていない農家の生産性が良いことに周りが気づくことで徐々により多くの農家が木を伐らなくなった。最終的に木があると生産性がよくなるということは口伝いで地域に広がり、畑に作物と木が共存している状態が普通になった。そして今ではこの地域では300万ヘクタール以上の土地に木が再生している、ほかの国からも視察に人々が訪れるようになっている。

彼の活動は最終的に目に見える形(再生した沢山の木)で実を結んだわけだが、目に見えない住民の意識の変革があったからこそ、目に見える実が結べたわけだ。

目に見える物は大切だし何よりも見えるので成果を実感しやすい、でも時には目に見える物は目に見えない成果の副産物だったりする。自分の従事している水・衛生環境の改善事業でも当てはまることだ。なぜなら住民の衛生意識が変わらないと、住民の衛生習慣も変わらないからだ。そのため、住民の衛生意識という目に見えない物への活動をあきらめずに続けたいと思わされた。Aさんみたいに17年間住むつもりはないけれど。

この記事を書いた人

三浦 曜バングラデシュ事業担当 プログラム・オフィサー
米国Washington and Lee大学理学部化学科卒業。在学中にケンタッキー州の都市貧困にかかわるNPOでインターンをした事でNPOの働きに興味を持つ。一般企業で勤務後、帰国し2008年9月にワールド・ビジョン・ジャパンに入団、支援事業部緊急人道支援課に配属となる。2009年から2011年までスリランカ駐在、2013年から2015年5月まで東ティモール駐在。2015年8月に退職し、ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院でMSc. Public Health in Developing Countries(途上国における公衆衛生)修士号を取得。2016年10月に再びワールド・ビジョン・ジャパンに入団、支援事業部開発事業第2課での勤務を開始。現在、バングラデシュ事業担当。2018年3月退団。
Return Top