【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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「あなたを知っています」 兄の命を救ったドクターは、かつての・・・

5月5日は「子どもの日」でしたね。
お子さんやお孫さんの成長をお祝いをした方もいらっしゃるでしょうか。
今日は「子どもの日」にかけて(?)、JBKのお話をします。

JBKってだれ(ナニ)・・・ですよね。
JBKは、John Baptiste Kamateという名前の、World Vision Internationalの同僚です。

でも同僚、と言っても、ワールド・ビジョンの現場支援(オペレーション)全体の統括責任者で、結構大きな責任を背負っている人です。

JBKは、西アフリカのマリ人。
若い頃、ワールド・ビジョン・マリで働き始め、その後、ルワンダの事務局長や西アフリカ地域の責任者を歴任。今はワールド・ビジョン全体のシニアリーダーの一人として、本部のあるロンドンにいます。

民間企業で言えは、いわゆる「出世街道まっしぐら」、というところでしょうか。
(ワールド・ビジョンでは、どちらかと言うと現場に近いところにいたがる人が多く、あまり「出世」とかそういう概念はないのですけれど(笑))

マリで現場事業の責任者をしていた頃のJBK

マリで現場事業の責任者をしていた頃のJBK

さて、そのJBK。
スラッとした大柄な体を揺らしながら、いつも陽気にジョークを飛ばしているのですが、3月に英国で行われた国際会議で、出席者全員を、ほぅーっと言うキモチにさせた話をしてくれました。
ここからは、JBKのお話です(適宜、私が記憶にもとづき意訳しています)。

∮ ∮ ∮

「先日、僕の兄弟(brother — 便宜上、兄、にしておきます)が病気になり、マリの病院に入院したので、急遽帰国しました。病院に行き、兄の手術をしたドクターに話を聞いていたときのこと、

話の最後に、僕の名前を見たそのドクターが、
『私は、あなたのことを知っています。会ったことがあるんですよ』
と言うのです。

驚いて話を聞いたら、もう20年近く前、僕がマリで初めて現場事業の責任者としてADP *のマネージャーになったコミュニティがあるのですが、彼はそこの出身者だったのです。

(*: Area Development Program: ワールド・ビジョンがチャイルド・スポンサーシップによって行っている支援事業)

そのコミュニティは、マリの地方にあるとても貧しい村でした。
僕は、初めて担当するADPだったので、当然、すごく張り切っていました。
でも、人々は最初とても懐疑的だった。
ワールド・ビジョンって何だ、お前は誰だ、何しに来たんだ、と。
特に、そのコミュニティのリーダーである老人は頑なでした。

僕は何度も話をしに行きましたが、なかなか受け入れてもらえず、途方に暮れていました。

でもその一方で、ADPで支援する子どもたちのことは、一人ひとりをよく知りたかったし、家族の状況も理解しておきたかった。
だから僕は、毎日自転車で、今日はこっち、明日はあっち、とコミュニティの子どもたちのところに通い続けました。
子どもたちの話を聞き、一緒に遊び、家族や先生の話を聞き…

そうしているうちに、いつの間にか僕は、そのコミュニティにいるほとんど全ての貧しい子どもたちの、名前や兄弟、家族の状況はもちろん、何が好きなのか、どういう悩みがあるのか、までわかるようになっていたのです。

僕が訪ねていくと、子どもたちは遊んでもらえると思って喜んで走ってきてくれるようになりました。そうすると自然と、子どもたちの家族や近所の人たち、学校の先生が次第に心を開いてくれ、気がついたら僕はコミュニティに受け入れてもらえていたのです。

支援地域の子どもたち

支援地域の子どもたち

最後まで頑なだったコミュニティリーダーも、その様子を見て、ワールド・ビジョンを信頼してくれ、そこから10年以上におよぶADPが始まりました。

僕はその最後までは見届けられなかったのですが、
元同僚から、そのコミュニティが自立に向けてしっかり歩き始めた、とあとで聞きました。

そして、冒頭のドクターの話に戻りますが、彼はこう話してくれました。

『私は、あなたが私の故郷に来たときのことをよく覚えています。
私は、あの時のコミュニティ・リーダーの孫です。私の祖父は、最後までワールド・ビジョンやあなたに懐疑的だったけれど、あとで、あれからこのコミュニティは変わった、あなたが来てくれてほんとうによかった、と言っていましたよ』

そして、続けました。

『あなたが来てくれなかったら、そして私にチャイルド・スポンサーがいなかったら、私は学校にも行けなかったし、いまこうして医師として多くの人に仕えて働くことも叶わなかった。ほんとうに感謝しています。ありがとう』

これを聞いて、僕はほんとうに、この世の中の不思議を、人知を超えた何かを感じました。

僕が関わった最初のADPで、チャイルド・スポンサーの方の支援で人生が変わった子どもが、青年になり、優秀な医師になり、そのドクターが、僕の兄の命を救ってくれたのです。

僕はそれまで、チャイルド・スポンサーシップの支援は、子どもたちの人生を変えると信じて仕事をして来たけれど、

そのドクターと出会えたことで、人生が変わったのは子どもたちだけじゃない、彼らのおかげで、僕の人生も変わるんだ、ということが初めてわかったのです。
元気になった兄も、ほんとうに喜んでくれました」

∮ ∮ ∮

と、まあ、こういうお話だったのです。

聞いていた会議の出席者は、一同、しーん・・・・・
いっときの間をおいて、静かに始まった拍手は最後、万雷の拍手となって、かなりの間、続きました。

5月5日は「こどもの日」。子どもの可能性は、ほんとうに無限ですね。
限界があるとすれば、それは、そう思い込んでいるオトナのせいかもしれません。

逆に、子どもにとって、
チャイルド・スポンサーのように近くに自分の可能性を信じ、
応援してくれる存在がいることが、
限界を突破するためにどれだけ大きな力になっていることか。

紛争や暴力、貧困など、子どもたちを取り巻く厳しい状況に触れるたびに、どんどんうなだれていくジブンの頭が、すっと前を向くような、とても嬉しい話でした。

チャイルド・スポンサーから手紙を受け取ったチャイルド

チャイルド・スポンサーから手紙を受け取ったチャイルド

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
「こどもの日」が終わったら、次に来るのは・・・「母の日」です。
次回は、ちょっと(おおいに)個人ネタになる予定です、、、題して、

子どもがすくすく育つって大変だっ。

では、次回またお目にかかります。

この記事を書いた人

木内 真理子WVJ事務局長
木内 真理子WVJ事務局長WVJ事務局長
大学卒業後、国際協力銀行(JBIC)前身のOECFに入社。途中英国LSE(社会政策学)、オックスフォード大(開発経済学)での修士号取得をはさみ、アフリカ、インドネシア、フィリピンにおいて円借款業務を担当。母になったことを契機に転職。東京大学にて気候変動、環境、貧困など21世紀の課題に対応するSustainability Scienceの研究教育拠点形成に従事。「現場に戻ろう」をキーワードに08年10月よりWVJに勤務。アフリカ、中南米、ウズベキスタンを担当。2011年5月より、東日本緊急復興支援部長。2013年4月より副事務局長。2017年4月より事務局長。
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