【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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ネパール:事業地までの道

年が明けて間もなく、ネパールにやって来た。

ヒマラヤ山脈がすぐそこに!

ヒマラヤ山脈がすぐそこに!

ワールド・ビジョン・ジャパンでは、このたびネパールで新たに事業を始めることになった。活動地域はドティ郡という極西部、観光ガイドブックなどにはおよそ登場しない辺境の地にある。

この地域ではチャイルド・スポンサーシップによる地域開発プログラムの活動がすでに進められているが、先般のネパール大地震を受けて、地域や学校の防災力をさらに高めていこうというのが今回の新たな事業の目的だ。

事業地への道中

事業地への道中

事業地へ行くためには、ネパールの本部事務所のある首都カトマンズから、ダンガディ(事業地最寄りの空港があるインド国境付近の中小都市)に飛び、そこからシルガディ(事業地事務所所在地)、コミュニティ(活動地域の村々)と、道路の状態を大きくグレードダウンしながら移動する。

ネパール自体とても小さな国なので実際の移動距離はそれほど大きくはないのだが、山肌を削って作られている道路は、なにぶん舗装は粗いか未舗装かで、片側は断崖絶壁の山道をウネウネガタガタと進むことになる。そこへ故障した車や土砂崩れの後をなおす工事車両などに遭遇すれば、車線をふさぎ立ち往生。なすすべもなくさぁ一服しようということになり、チヤ(ネパール紅茶)を片手に数十分。この繰り返しで遅々として先へ進まない。さらにコミュニティの村に入ればジープに乗り換えその先は徒歩、と移動手段も限られてくる。

ジープで川を渡るワイルドさや、ちらほら顔を覗かせるヒマラヤ山脈を仰ぎながらの散策(トレッキング)は、身体や気持ちが元気ならポジティブに捉えることもできるのだが、途中宿泊を挟みつつのこの旅路には、やはり相当な覚悟が必要だ。

農地の光景

農地の光景

こうして辿りついた事業地。昼間の日差しは強いが朝晩の寒さがまだ厳しい1月、標高の高い地域(活動地域内でも標高差が2,000m以上ある)では雪が降り積もるという中、この地に住む人々の生活は見るからに過酷だ。

集めた薪を持ち帰る女性たち。ときに10キロくらい歩くこともある

集めた薪を持ち帰る女性たち。ときに10キロくらい歩くこともある

ある朝、薪を集めた帰りに大きな木の周りに腰かけて休憩する村の女性たちと、何枚着ているかを競った。当然私は圧倒的な勝者となったが、(きっと私を軟弱だと内心思いつつも)まったく寒くないわよ、と穏やかに微笑む彼女らがとても逞しく思えた。

訪れた小学校では、子どもたちに毎日顔を洗うかと質問すると、答えは「イエス!」。では体はどうかと聞くと、多くの子どもが恥ずかしそうに1週間に1度しか洗わないと答えてくれた。かくいう私も村に寝泊まりしている間は、歯磨き以外ウェットティッシュに頼るのみで、衛生教育がどうとか、どの口が言えようかという気にもなった。

校舎がなく外で授業を受ける子どもたち

校舎がなく外で授業を受ける子どもたち

生計を頼る農業は山岳の地形ゆえにどうしても零細になるし、農閑期にはインドへの出稼ぎに頼らざるをえないため男手は村から消える。村に残った男性はまず働かない。カマドに座って暖を取る側ら、せいぜい紅茶の葉っぱをポトポトとヤカンに落とす程度である。女性にかかる負担は圧倒的に大きく、炊事洗濯、水汲み、薪ひろい、そして子どもと家畜の世話など力仕事から水仕事まで一手に担う。それなのに不思議と笑顔を絶やさない。日本も「おしん」の時代はこんなだったのだろうな、と想像したりする。手や額に労苦が刻まれたやや貫禄のある女性が実は23歳だと知ったときにはかなり派手に驚いた。

なぜこのような厳しい環境に人が身を置き続けるのだろうと正直思わないこともないが、実際にその地に足を運ぶと、そこには人の営みが受け継がれつつ、しっかりと根付いていることをあらためて確認させられる。ここで育つ子どもたちも活き活きと日常を生きている。そのことは、少しはにかんだ人懐っこい笑顔からよく分かる。

通学中の子どもたち

通学中の子どもたち

都会の淀んだ空気とは無縁の、澄んだ夜空は格別だ。冬の星座の代表、オリオン座の2:3:2の形の中に無数の星が点在していることを、私は今回生まれて初めて知った。凍てつく寒さの中、黒胡椒とショウガを効かせて入れてもらった熱々の甘い紅茶を飲みつつ、この広大な星空を見上げるのは何とも贅沢なひと時である。

もちろんエアコンも電気ストーブもない。あるのは炊事をするカマドくらいで、暖をとりに皆が自ずと炊事場に集まってくる。家族や近隣の絆はこうして強まってくることを知る。

アジアでもっとも貧しいと言われるネパールだが、厳しい自然の中で生きる逞しさと穏やかな微笑に、「貧困」を測る指標にはあらわれない「人としての豊かさ」がこの国の人々にはあるのかもしれないなと思わされている。

本当は新たな事業の開始の様子などを書くつもりだったが、自分にとってややハードルの高いことを経験するとそのことを周囲に伝えたくなるのが人間の性らしい。旅行記のようになってしまい恐縮だが、地域の様子や事業の内容についてはまた追って紹介していきたいと思う。

現地のスタッフと筆者(中央)

現地のスタッフと筆者(中央)

 

 

この記事を書いた人

加藤 奈保美ネパール駐在 シニア・プログラム・コーディネーター
神奈川県生まれ。早稲田大学・同大学院理工学研究科にて、アジアの建築史について学ぶ。在学中に阪神淡路大震災でボランティアを経験したことから、防災や被災地支援がライフワークに。卒業後は建設コンサルタント会社に勤務。自然災害を中心とした国内外のインフラ事業に従事する。2008年6月、ワールド・ビジョン・ジャパンに入団。サイクロン後のミャンマー、大地震後のハイチで復興支援に取り組む。東日本大震災後は、一関事務所の責任者として岩手県に駐在した。2014年4月から、アフリカのスポンサーシップ事業を担当後、支援事業部 開発事業第2課に所属。2017年1月から2019年12月までネパール駐在。2020年1月退団。
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