【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

Read Article

次のチャプターへ:私が南スーダン赴任を決めた理由

突然のご報告になりますが、私、池内千草は9月から2年間、アフリカの南スーダンに赴任することになりました。
13年勤務したワールド・ビジョン・ジャパンを休職し、別の組織に所属しての赴任です。

「GBV被害者の自立と社会復帰アドバイザー」というのが、赴任先での職務名です。
“GBV”は、Gender-Based Violenceの略です。直訳すると「社会的性(ジェンダー)に基づく身体的、精神的、 性的暴力」となりますが、性的暴力だけではなく、社会的性差に基づくパワーバランスに起因する暴力というところがポイントだったりします。

人身取引関連の現場視察前準備の様子(中央が筆者)

2011~2016年、人身取引事業のマネージャーとしてカンボジアに駐在していた時の筆者

南砂町? いいえ、南スーダンです

今回の赴任について友人に伝えると、「えぇぇぇ!? み、南砂町?」と聞き返されました(南砂町は江東区の地名で、東西線の駅名のひとつです)。
「みなみす」までしかあってないよ・・と思いましたが、思わずそのような反応をしてしまうほど、一般的にはなじみのない国だよな‥と再認識しました。

私自身ワールド・ビジョン・ジャパンでは東南アジアの担当で、東南アジア6カ国はかなりヘビーなリピーター(?)ですが、国際協力の仕事をしているにも関わらず、実はアフリカに足を踏み入れたことがありませんでした。初アフリカが南スーダンで、かつ訪問ではなく、2年間張り付きの駐在というのは一気に上級者コースに突入するようなそんな感覚を自分でも持っています。

周りの友人、親せきも、近い関係であればあるほど、私の決断について心配をしてくれます。「こんなご時世にそんな不安定な地域に行くなんて信じられない」とか、「何を考えているの?」「そんな3Kもいいところじゃない・・・」など、思いとどまるように説得されることもしばしばでした。

コロナ禍、新しくなった生活のなかで

「なぜそんなところに行くのか」という問いに、その場にいたある方が「突き動かされるものがあるのよ、きっと・・・」と、つぶやくようにおっしゃったことが心に触りました。

2020年2月から新型コロナウイルス感染症対策として、私たちの事務所はかなり徹底して在宅勤務を実施してきました。さらにすべての出張の予定、旅行の予定が白紙になり、出張がなく、事務所にも出ないという単調な日々。それまではこの出張スケジュールが私の生活の中心にあったため、私の生活も大幅に変わりました(当時のブログがこちら)。特にこの新しい生活に慣れるまでの数か月間はどんよりとしたものだったと思い出します。その中で大きな喜びとなっていたのがお散歩でした。

朝のお散歩で行っている近所の緑地帯は、川があって、その脇に遊歩道があり、この春は本当に見事な桜並木となりました。その後も、春が過ぎて、梅雨になり、そして夏へと季節が移行する中で、見える風景が刻々と変わっていくことも毎日の励みとなっていました。また歩きながら、いろいろなことを考える時間となり、静かに振り返ることによって、気づかされることもありました。

専門的な力をつけたい。でもどうやって・・・?

このお散歩の中でよく考えていたことは、自分はどのような開発ワーカーになりたいのかという事でした。その答えの前段として「プロテクション分野の専門的な力をつけたい」ということは割と簡単にでたのですが、具体的にどのように力をつけるのか、力をつけてどうなりたいのかということは、ぼんやりとしてきちんと言葉で説明できるほど明確になるのにはしばらく時間がかかったように思います。

本来私たちの仕事は、受益者がいかに力をつけて変わっていくか(エンパワーされるか)というところに主眼があるのですが、外国人である私たちは、直接受益者に研修は行わないというジレンマがあります。現場に変化をもたらすためには、受益者に関わる現地の政府職員やスタッフが十分に力をつける事が必要で、そうすることで持続性も生まれてくると考えています。当時の私は最前線のスタッフや政府職員のサポートをするというのが仕事でした。実際に私がカンボジアに駐在していた時は、訪問するスタッフや現地政府職員が仕事をするうえでどうするのが効果的かを考え、交通整理をし、必要なツールを開発するという仕事をしていました。まだまだ前例が少なかった人身取引の被害者支援(プロテクション)の分野で、カオスになりがちな現場にどれだけ有効なアドバイスができるかというのは本当に重要で意味のあることでした。当時の私はまだまだ経験が足りなく、うまくできたこととできなかったことがあり、反省点も多かったと思っています。そんな中、ひとつ忘れられないでき事があります。

悔やみ切れない、あの日のこと

当時私たちの事業対象地域に、タイで人身取引の被害にあった女性が戻ってきて、私たちの事業で対応することになりました。当時その女性は20歳になったばかりで、自分の実家に戻ることになっていました。ただその事前調査をしたスタッフから「チグサ、正直このケースは自宅に戻ることが最善ではないように思う。安全面から、いくつか懸念点がある」と言われていました。しかし当時の私たちのプログラムでは、自宅に戻らないケースへの別対応のオプションがありませんでした。特別ケースとして、首都のシェルターに保護するかなど当時スタッフといろいろと知恵を出し合ったのですが、そもそもその女性の受け入れが金曜日の遅い時間だったため、また翌週に対応しようとその日は結論が出ないままに終業となりました。

そして週の明けた月曜日、そのケースの対応をどうしたものかと考えながら仕事に戻ったところで、私は衝撃的な報告を現場のスタッフから受けました。週末、その女性は当初から安全性の懸念材料であった村の男性よりレイプ被害を受けたとのこと。すぐに近くの保健センターに連れて行って、必要な処置はうけていると聞いたものの、本当に悔やんでも悔やみきれないケースとなりました。

今でもあの時に受けた衝撃的な電話は忘れることがありません。冒頭に紹介した知人の「突き動かされるものがあるのよ」というつぶやきに答えるとすれば、決して第二のケースは出してはならないという気持ちかな‥と思います。

一人でも多くの女性を守ることができるように、「国のシステムを整備し、関係者の役割と責任を明確にする」事。

与えられたのは2年間という短い時間ですが、その中で果たすべきミッションをきちんと遂行していきたいと思っています。

この記事を書いた人

池内千草
池内千草支援事業部 プログラム・コーディネーター
東北大学大学院修士課程修了後、私立高等学校にて英語講師として勤務。その後タイ王国チュラロンコン大学大学院タイ研究講座を修了。タイの東北地方の農村にて調査・研究を行い、NGOと女性の織物グループの形成をジェンダーの視点から考察した。2003年から2006年までの3年間、タイの国際機関(UNODC, UNAIDS, UNESCAP)や日本のNPOなどでインターン・コンサルタント・国際スタッフとして契約ベースで勤務。帰国後、千葉の財団法人、海外職業訓練協会にて、APEC・ASEAN域内諸国を対象とした、人材育成フォーラムや技能研修などの研修事業に携わった。2008年2月ワールド・ビジョン・ジャパン入団。2010年10月より2016年6月まで人身取引対策事業のためにカンボジアに駐在。現在、支援事業部 開発事業第1課配属。2021年9月より休職中。
Return Top