【スタッフ・ブログ】国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン

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NGOスタッフの記憶に残るギフト(6)~命のプレゼント~

我が家に長男を授かったことがわかったのは旅行中、タイのバンコクでした。訪れた病院で検査を受けた後、結果を告げにきたタイ人医師は満面の笑みで「おめでとうございます!」と妻と私に告げました。妻には健康の不安があり、出産は無理だろうと話していた我々にとっては不安を抱えての受診でしたが、その言葉に背中を押されるように病院を出ました。その後、妻の入院、低体重での出産、長男も入院と苦労が続きましたが、どのような状況であっても命を授かり、それを育てる喜びもたくさん経験をさせてもらっています。懸賞のプレゼントに当選したかのように祝福をしてくれた医師の顔を今でも思い出します。

12月3日は国際障がい者デー。1982年の第37回国際連合総会において「障がい者に関する世界行動計画」が採択されたことを記念して定められました。その後、2006年には国連は「障がい者の権利に関する条約」を採択。障がいを持つ人々も社会の平等で価値あるメンバーとして、その潜在能力をフルに発揮できるようにするための国の責任を定めた同条約には日本政府も批准をしています。

ワールド・ビジョンで支援を受けている子どもたち

ワールド・ビジョンで支援を受けている障がいを持った子どもたち

しかし昨今、障がい者の施設で起きた痛ましい事件や、ようやく事実が明らかになってきた優生保護をめぐる歴史、障がい者雇用をめぐる法律違反の報道に触れるにつけ、我々が住む社会には人間を役に立つか立たないか、強いか弱いかといった尺度で判断し排除する価値や視点が根強くあることをあらためて感じます。

ワールド・ビジョンの事業にかかわる二人の障がい者を紹介したいと思います。

インドに住むモヒニ(仮名)は、貧しい家庭に視覚障がいを持って生まれました。両親はともにHIV陽性患者で、彼女が3歳の時に他界。その後は祖父母が養育をしてくれています。小学校6年生の時に視力を失った彼女は、同時に自分もHIV陽性であることを知ります。
二重の衝撃に加えて、貧しく年老いた祖父母の重荷になっていると心が苛まれました。

ワールド・ビジョンのチャイルドとして支援を受けるようになった彼女は、2015年末、ワールド・ビジョンが主催する障がいを持つ子どもたちの全国大会に州を代表して参加。自分のように困難な状況にあって他者を励まし、力づける多くの障がいを持つ仲間ができたことから、自分が生きていく意味を見出したと言います。

障がいといったことは取るに足らないことで、子どもたちは皆、平等。(ワールド・ビジョンの応援も受けながら)差別をなくし、障がいを持つ人々にも正義がもたらされるように働くことが自分のミッションです」と言い切ります。

”差別をなくし、障がいを持つ人々にも正義がもたらされるように働くことが自分のミッションです”と語るモヒニ。

”差別をなくし、障がいを持つ人々にも正義がもたらされるように働くことが自分のミッションです”と語るモヒニ

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内戦が勃発した南スーダンから隣国のウガンダまで、25歳のアレックスは戦闘を逃れるため、14日間、這いずって国境を超えました。国境近くの町に住み、その距離は28キロほどでしたが、手足が不自由な彼は車イスを持っていなかったからです。逃げる途中、手足は傷だらけになり、その手に死体が触れたこともありました。

アレックスは5歳で孤児になり、彼の伯母が引き取って育ててくれていましたが、この戦闘によって生き別れとなりました。現在までその消息はつかめていません。

戦闘員と遭遇するのを恐れて茂みの間に隠れたり、夜には野生動物に襲われる恐怖に耐えたりしながら、ようやくたどり着いたウガンダ側の難民キャンプ。ワールド・ビジョンが支援を行うその地域で、車イスや食料、住居の提供を受けると共に、障がい者を対象とした包括的な水・衛生・衛生プロジェクトが始まると、彼はその参加メンバーに登録されました。

アレックスは障がい者を含む他の難民7人とグループを作り、製粉機の支援を受けます。メンバーはそれを使って住民が製粉機を必要とする時に貸し出し、収入を得ています。2週間ごとにメンバーが集まり、あがった利益を分け合うことで、アレックスも文房具や書籍を購入。学校にも行き始めました。南スーダンで終えられなかった学校教育を、このウガンダで修了し、エンジニアになる、というのが彼の夢です。

近々、自宅の近くに食料雑貨店を設置する計画もあります。初期に必要な資金は、グループから融資をしてもらう予定です。いつの日か南スーダンに平和が訪れ、アレックスも自分の伯母と再会できることを祈っています。

夢はエンジニアと新しい歩みを始めたアレックス。

夢はエンジニア。新しい歩みを始めたアレックス

アレックスが始めた製粉機貸し出しの働き(英語)

『この子らを世の光に』という言葉を残した日本の社会福祉の実践家で、知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた糸賀一雄は、人間一人ひとりが光り輝く存在であり、「障がい」を抱えた人も分けへだてなくともに生きることのできる社会こそ「豊かな社会」であると主張しました。

この世に与えられた一人ひとりの命のプレゼントを喜び、大切に育んでいくために、私にできる“何か”を探し続けたいと思います。

バングラデシュの支援地域で人々から話を聞く筆者

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【関連ページ】
「子どもの権利条約」25周年 記念連載③ ~参加する権利~
障がい児にも豊かな命を~モンゴルのチャイルド・スポンサーシップ支援

この記事を書いた人

平本実支援事業部 プログラム・コーディネーター
国立フィリピン大学社会福祉・地域開発学部大学院留学。
明治学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了。
社会福祉専門学校の教員を経て、2000年1月より社団法人日本キリスト教海外医療協力会のダッカ事務所代表としてバングラデシュへ3年間派遣。
2004年12月から2007年3月までは国際協力機構(JICA)のインド事務所企画調査員。
2007年9月から2年半は、国際協力機構(JICA)のキルギス共和国障害者の社会進出促進プロジェクトで専門家として従事。
2010年9月、ワールド・ビジョン・ジャパン入団。
支援事業部 開発事業第2課 プログラム・オフィサー。
2020年3月、退団。
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